読書
最近、講談社モーニングコミックのカレー沢薫著「ひとりでしにたい」を読んでいる。Twitterで見かけた話が面白かったので、Amazonで1巻を無料で読んだ。独身女性30代将来計画性ゼロなどグサグサと当てはまることが多い上、自分で進んで調べないような億劫な現実問題がポップに描かれており、夢中で読み進めている。私は読むのが遅く、じっくり読みたいこともあり、新刊なら読了するのに1冊1時間はザラだが、この「ひとりでしにたい」は1時間を超えた。それだけ内容がボリューミーだと思う。
ドラマが放映されるとき話題に上がっていたが全く興味を持っていなかった講談社東村アキコ著「東京タラレバ娘」もそのうち読みたいと思っている。YouTubeの岡田斗司夫チャンネルで「東京タラレバ娘」を紹介している回を見て興味を惹かれた。
このように、昔からよく耳にしていた「独身・三十路(アラサー)」などのワードに耳が余計に反応するようになったというのは、そういう世間の目で自分自身を見ているということかもしれない。それは良し悪しあるが、今の私にとっては特に悪いことではないと思う。今の環境では、周囲も自分も、私のことを甘やかしてアダルトチルドレンが捗ってしまうと感じるからだ。ここで、アダルトチルドレン化が捗るのは半分は周囲の環境のせいだと言い訳をしているのがもう終わりの始まりではないかとすぐに気付けるのはまだ良い方だと安心したい。
私の母が読書にハマり、先日帰省した際、本棚に垣谷美雨著「うちの子が結婚しないので」があったので半分くらいまで読み進めた。娘のために奮闘する両親は何て優しいんだろうなどと思いながら、実際に多くの親がこのような気持ちに近いことを子供に思っているのだろうかと想像した。この題名を見つけて手に取り、パラパラと読んだか読まずか購入したのは何か思うことがあるからだろう。…とか言って、初見でもなんだか読みやすくて、読書が遅い私でも1日で半分まで読めたし、容易に映像化した情景が思い浮かんで面白かったから"面白かったから"というだけかもしれないが。
親にとって子供はいつまでも子供とよく聞くが、やはり親にならねば親の気持ちは想像に留まる。今はたくさんの"親"の日常をSNSを通して覗くことができるが、フィルターがかかっている分実体験には敵わない。そうして絞りだせた一つの答えは、自分が死んだ後も子がちゃんと生きていけると安心したいのかもしれない。そのちゃんとの要素の一つ「収入」は確実に欠いている。自分の老後の預金などないだろう。人間性にも自信が無い。いや、むしろこちらにこそ大きな欠けがある。あとは何だろう。この辺で尽きる思考力だろうか。あまり自分をいじめるな自分。
万が一結婚などするとして、ひとりで生きているだけでも予想外なことが多く長生きなどとんでもないと思っているのに、それが自分の家族、相手の家族分増えるとなると私はすぐ逃げ出してしまうだろうと思う。私には荷が重い。
ここ数年顔を合わせるたびに「いい人を見つけなさい」と言われているが、私にとっていい人でも、相手にとっては地雷物件であることが濃厚なので、積極的になれないのだ。と説明しても多くの人にわかってもらえない。なぜなのだろうか。もし友人がそんなことを言ったら「そんなことないよ」と、やっぱりなんだかんだ励まし始めるだろう。自分は、自分の嫌なところばかり見ていたらそりゃ何も上手くいかないと思うだろう。励ましてほしいから言っているのではなく、今考える自分の事実を言っているのだ。事故物件になってから初めて住む人にはその旨を説明する必要があるのと似ていると思ったが、そんなに似てないと思った。
上記の本等を読んで、私にはそんなに市場価値がないことが分かった。男目線で自分を考えたことはなかったので正直地味にショックだった。やはり女性は若いに越したことはない。男性は収入面を見られるそうだが、これはいつの時代もずっと変わらない価値観なのだろうか。結婚するにあたって自分がどう生きていきたいかぼんやりとでもビジョンがある人は相手に希望する要素が出てくるのだろうか。ということは私は真に結婚を望んでいないのかもしれない。相手に望むものが何もないし、ずっと一緒に居たくない。
ひとりで生きるのも、結婚も離婚も、全部面倒なことはつきものだと思う。計画性がないので今後のことを考えて生きるのなんて本当に億劫だし、なんなら病気になったりお金が尽きたら死ねばいいやと思っているので私の計画はシンプルとも言える。それは極端だろとよく突っ込まれるが、「ひとりでしにたい」のように、ひとりで死ぬのも色々面倒事が多いから、事前に準備したり計画しておいた方がいいよと言われるとぐうの音も出ない。
私は去年、確定申告をするか死ぬか、当日の役場が閉まるギリギリまで泣きながら考えていて、結局死ねなかったので生きているが、あの時本当に死んでいたかもしれないと思うほど今考えると鬱状態だった。それくらい面倒事が嫌いだ。でも最終的にはなんだかんだやったりやらなかったりバックれたり…。
ちなみに、令和3年度の確定申告が実はまだ完了しておらず、なんだかんだ予定が入り今週が来週を繰り返した挙句3月に突入してしまったが、今はDead or 確定申告という心境ではないのでマシだ。
「ひとりでしにたい」は、そんな確定申告よりも死にたくなるような面倒事があることを面白く教えてくれる。グサグサ刺さるが、「これも!あれも!こーんなにいっぱいやらないけんのやぞ!!!」と煽ってくる訳でもなく、どうしていけばいいかのヒントも紹介されているので見やすい。私は半ば他人事として考えている節があるが、やっぱり私にとっては未来の話なのだなあと思う。
本当につくづく早く死にたい。長生きするほど損だと思う。これまで定年後も特に心配なく生きられるような努力をしてこなかったことがそもそもの問題かもしれないし、あの時仕事を辞めなければ等と後悔し始めればキリがないが、それらの後悔は今のところまだしないように思う。例えば本当に生活に困窮した時、私は自分の人生を恨んでしまうのだろうか。そんな時は良かったことには決して目が向かない。そんな風にはなりたくないと思った。
最近、嫌なことがあったり、嫌なことを思い出して悪態を吐きそうになったり、もう吐いてしまったとき、「今!今!」と心の中で呟いている。バレー部が「集中!集中!」と言うくらい意味がないかもしれないが、私はとにかく今に目が向かないことが癖になっていると確実に自覚したので、とりあえず「あ、今私昔のこと考えてる!」と自覚できるようにした。すると、アニメを見ていてもふと昔のことを考え始めたり、このように文章を打っている途中でも昔のことを入力し始めていることに気づけた。現に2000字近い嫌な出来事を入力していたところだ。どんだけ昔が好きなんだ私。そのうち平成はよかったなぁとか言い出すんだろうか。絶対に嫌だ。私はどっちかというと新しいものが好きだぞ!
昔のことに蓋をし、なかったことにするのは良くない。しっかり見つめて反省し、今後に活かさなければならない。だがそれは集中しないとできない。しっかりと俯瞰して見つめるのはまた今度にして、とりあえず違うことをしている今に集中しようという意図で始めた。
本を読む時間をもう少し作ろうと思う。
私はYouTubeを見ながら眠ったりすることが多く、あっという間に容量オーバーしてWi-Fiが低速回線になったり、3GB契約の通信量を大切に使おうと思った3月1日に、動画のアップロードを切るのを忘れてあっという間に残り1GBを切ってしまったり…とつくづくアホだ。ちなみに2月も月初めに低速回線になってしまい、Wi-Fi無しでは使い物にならないスマホを持ち歩いていた。
母はWi-Fiを手放したことで読書生活を楽しみ始めた。Wi-Fiがあった頃は、ずっとYouTubeで同じ動画ばかり見ていたり、バカゲーにハマっていたそんな風にはなって欲しくないし、私はいつの間にかそんな私になっていた。
この低速回線の今こそ、読書を始めるチャンスだ!ちょうどお腹のお肉も増えてきたことだし、筋トレも昨日やった!今日は筋肉痛でお休みということにする!
アニメや映画も好きだが、たまにで抑えることができず、本来読みたい本を億劫に思って読んでいない始末。本当にやりたいことは読書だとわかっているのに、手近なもので満足してしまう。
3月末はフェリーに乗る予定だ。フェリー上ではネットが使えないという。2冊くらい本を持ち込んで読了しよう。それまでに友達から借りた漫画を早く読み切ろう。
深夜に書いたのでいつもより支離滅裂かもしれない。
誤字脱字は後ほど訂正します。