目的

私が本当にやりたいことがなんなのかはまだ分からない。
やりたくないことはたくさんあるが、無心になったり、睡眠時間を削ってでもやり続けたい、一生やりたい!と思えるような熱い気持ちはない。そこまで熱烈な感情じゃなくてもいいのかもしれないし、前にも書いた気がするが。

やりたいことはある。
ただそれを今後やり続けられる保証や、食べていくための何かに変えるほどのことではないので、やりたいことを仕事にすることはできないんだろうと思い、「やりたいことはない」と言ってしまっている。別にやりたいことをずっと続けていかなければいけないわけでも、お金に変えなければいけない訳ではないので、辞めたければ辞めればいいし、また別のやりたいことをやればいいだけのことだ。やりたくないことをしながら、私だけの、誰の目線も介入していないことをやればいいのだ。そういう気持ちを今の私は忘れたくない。その日時々で忘れたくない気持ちが増えていくので覚えているのが大変だが、本当に心に刺さったことは忘れないそうなので、私の心に刺さったと思ったものが実はそうじゃなかったものにならないためにも、アウトプットして忘れないようにしたい。

ちなみに私が今やりたいことは、

  • 雑貨作り

  • お絵描き

  • ランニング

  • 筋トレ

  • ウクレレ

雑貨作りは著名なデザイナーさんやイラストレーターさんがやることで、トーシロの私がやったって…という気持ちがあったが、デザインを作成すればマスキングテープやハンカチなどの小物からTシャツなど様々な雑貨を作成してくれる会社がたくさんあり、単価は変わるが個人からでも捌ける量で発注することができるなど、確定申告よりも遥かに手間を感じることなく商品化できることを知った。その敷居の低さは、私に絵を描くことを周囲にPRしても良いんだと小さな自信を与えた。

私に物作りの才能はないし、むしろ壊すし、これだけたくさんのイラストやデザインが出尽くしている時代に飛び込むには無謀な界隈とも思われるが、趣味程度で何かのイベントや路上販売などをやってみると面白いかもと思っている。現に自分にとってはパッとしないものを売りまくっているお店を蚤の市で見かけたことがある。別に売れなくてもいいんだ。ちょっとでも興味を持ってもらえると嬉しく感じるだろうし、お買い上げいただければもう、最高に嬉しいと思えるに違いない。もしそこまでできたら、10年前の自分は「すげー!」と連呼しまくるだろう。

何より自分が作ったものを、1日限りだとしても自分で出店できるのはとても楽しそうだ。その敷居が実際はそんなに高くないと知ることができて本当に良かったと思う。
ちなみにそんなことを考えている時、頭の中の私はやっぱり福岡にいるのだ。

音楽や演奏家だって、正直もう表現できる幅は出尽くしてるんじゃないかと思えるのに、毎年新しいクリエイターが活躍し始める。作り手も受け手も、みんな新しい表現を求めているだろう。既出の何かと似ていたりするかもしれないが、それも含めるとまだまだ新しいものも出てくるんだろうと思える。今の時代に生きていないと出会えないものが、いつかの時代の何かと似ていても、それがつまらないものなのかは受け止める側が決めることなのだろうか?作り手がつまらないと思ったものが周囲に評価されることもあるかもしれないが、そういう時もポジティブに受け止められればいいのだろうか。ちょっと脱線。

社会的なコミュニケーションに問題がある私は、今後も社会生活に苦しんでいくことになると思うが、やりたいことに目を向けてければひどい地獄にはならないのかもしれない。

今、私にとっては"たくさん"の友人知人に囲まれ、それなりに楽しい日々を送ってはいるが、やりたいことがどこでもできることなら、福岡でやりたい。ここは田舎で静かで過ごしやすいが、北海道に来た初日に畳に寝転んだ時、外で木が揺れる音以外何も音がしないほど静かだったのを今でも覚えている。それは私が大声で泣いたり喚いたりしてもなんの問題もなく、とても過ごしやすい環境だということだったのだが、いつしかそれにも慣れてしまい、帰省した時に聞こえる電車の音や、救急車の音に安心していた。

あの時は「もうこの町に住んで居られない!!死ぬしかない!!」とか思い続けていて、なんだか何も上手くいかず漠然とした悩みにばかり目が向いていた。何をどうしようともできなかった私がかなり頑張って、楽しみ半分、断腸の思いも半分感じつつ北海道へ行った。たった3年間だったが、あっという間の3年間だった。途中相変わらずバックまくったり、いろんな人に迷惑をかけ、歳甲斐もなく泣いたり笑ったり、そんな私を受け止めてくれた多くの人と過ごせて結構楽しかった。一生の思い出になるかもしれない。こんなに良い人たちに囲まれて生きていけるのは人生でこれが最後なのでは?もう死ぬのでは?と思っていた程だ。

思えば消費ばかりしていた。何も生産していない。
もらったジャガイモの苗や、豆や、花、観葉植物、人間関係、会社の備品、色々ダメにしてしまった。身近なことでもそうだが、何かを生み出すことを今までしてきていないように思う。全て周りの人の気持ちのおかげだし、多分私は何も変わっていないのだ。でも、知らない人に声をかけられる余裕はできた。躊躇なくとはいかないが、それだけが、私が胸を張って3年間で得られたものだと言い切れる。ネガティブなこと以外で言い切れることができたのは本当にすごいと思う。

消費ばかり続けているのがだんだん虚しくなってきたので、本当に雑貨の販売に踏み切ってみるのはいいのかもしれない。いつ始めたって、遅いことはあんまりないのだから。そう思えることも以下略だ。

絞り出して思い出したが、ちなみに唯一"生産"らしいことができたのは、2年近く前に買った千両だけだ。いつも目につく場所にあるので、歯を磨きながらだったり、ふとした時に観察していて愛着が湧いた。秋頃、急にぐんぐん成長を始め、すごいスピードで新しい大きな葉を沢山茂らせた。花もたくさん咲いたが、その後の管理が悪かったせいか実は5つしか付けなかった。今では細い幹で大きな葉を支えていてバランスが悪い。このまま成長を続けていくといつか曲がったり折れたりしてしまわないか心配だ。愛着が湧いたこともあり、暖かい季節にダニが発生した時は目を皿にして、土に優しい防虫剤をダニ目がけてかけまくったものだが、もしかしたらこの千両がタフで、育てるのが下手な私の元でも元気に葉を茂らせていられるだけかもしれない。ともあれ今後も私が枯らさない限り、千両は私の元で成長し続けていくのだから、これも立派な生産活動なわけだ。

何かを途中で投げ出してばかりで、今度こそ、今度こそはと仕事や人間関係を良好に続けられることを目標にやってきたが、すぐに綻び始める。元来苦手なのだ思う。そんなの認めたくなかった。だって社会不適合者みたいだから。でも私はきっと立派な社会不適合者でコミュ障なので、それを認めた上で行動した方が楽だと気が付いた。根強く苦手意識があるものを目標にしたって辛いし、逃げ出したくなるし、自己嫌悪してしまうので、そんなことを目標にするのはやめよう。

今後は"練習"をすることにしよう。人間と生きるのが苦手な私はシェアハウスにて身近に人間と暮らす練習をしてみよう。幸か不幸か短大の時はボロい寮で少人数ながら集団生活の相部屋だったし、決して上手く楽しく生活できていたとは言えないが、社会人になった今、お金もないし、一人で生きていけないのだからとりあえず練習だ。できなくても良いんだから!だって私は人間と生きるの苦手だし!

逃げ回ったり、開き直ったり、落ち込んだりと、これからも忙しいと思うし、なんだかんだ言いながら一生このままかもしれないので、もう諦めて、今日、ちょっとでも落ち込まないで生きられるようにしよう。

そのためにした方がいい努力くらいは、できるようになりたい。
それが死ぬほどやりたくないことではない限り。

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