カサンドラの由来と、逃げ出したい気持ち
序文
今回は僕のニックネーム「カサンドラ」の由来を書きたいと思います。そんなの興味ないよ!って人も、前半の「カサンドラ症候群」のごく簡単な説明だけでも読んでみたらよろしいかと。
自己紹介欄を読めばお判りいただけるように僕は男性ですが、カサンドラという女性名を名乗っています。もちろん、こうして明言している以上、ネカマというわけではなく、「カサンドラ症候群」という症状に由来しています。
カサンドラ症候群とは
「カサンドラ症候群」はアスペルガー症候群(以下、ASと略)のパートナーと情緒的交流が困難なことから生じる精神的、身体的苦痛と、それを周囲から理解してもらえない二重の苦しみにある状態を指します。近年、ASの認知度が上がると同時に注目を集めつつある概念です(現在までのところ、正式な病名としては認められていない)。ASの発症率は女性に比べて男性の方が4倍高いため、カサンドラ症候群というと女性の病気とされがちです。しかし、女性のASは気付かれにくいため、実際には「男性のカサンドラ」も相当数いるものと考えられます。先にも書いたようにカサンドラ症候群は病名として認められていないので、医師が病名をつけてくれるわけではありません。あくまでも自己診断ですが、僕はカサンドラ症候群だと信じていますし、それは間違いなく双極性障害発症の一因になったと考えています。
おことわり
以下は、のちにASと診断される同居人(以下、Bとする)と僕のお話です。泥沼な内容なので、気分が悪い時には読まない方がよいでしょう。また、激昂しやすい方にも同様にお勧めできません。コメントされてもスルーする可能性があります。
外モードと内モード
約20年近く前に同居を始めて早々、Bは豹変しました。しかし、これは今になってみると当然のことだったようです。ASは生育過程において対外的な所作を身につけた「外モード」を獲得するそうです。そして「身内」と判断した相手にだけ元来の「内モード」を見せるのです。特に受動型に分類されるASの外モードは、「ちょっと変わっているけど、いい人」に見えるため、問題が起きるまで定型発達者との見分けは困難です。
最初の2年
Bは同居を始める数年前に急に仕事を辞めて無職でした。現在に至っても理解可能な説明は、なされていません。僕も今さら興味がありません。とにかく同居したら早めに仕事をみつけることを約束させていましたが、求職活動をしている様子は全く見受けられませんでした。また家事もほぼしていないようで、掃除どころか何ヶ月経っても居間に引越し荷物が積み上がっているし、食事はいつも惣菜ものだし、辛うじて必要に迫られて時々洗濯をしている程度。昼間なにをしていたのか尋ねると、「寝ていた」とのこと。僕は今よりは少しだけ我慢強かったので仕事も含めて自主性に任せていました。半年に1回だけ「仕事探しはしている?」と訊きましたが、明確な返答はありませんでした。そんな時、何を考えているのか考えていないのか、Bの目は虚です。こちらの声が届いているのかさえ判りません。さらにキツめに問うと、「こんな遅い時間になって、そんな面倒な話を始める方がおかしい」(僕は朝から晩まで働いていた)「眠くなったから終わり。寝る」と強制終了(さっきまで寝てたって言ったのに)。
初めは原因不明の頭痛でした。右目の奥に針を刺されるような痛みでした。さらに原因不明の腰痛。入院して神経根ブロックまでしましたが、治りませんでした。まだ、上司のパワハラが始まる前のことです。
BがASだと診断されたのはつい最近であり、またカサンドラ症候群という言葉も当時は一般的ではありませんでしたから、何が起きたのかさっぱり分かりませんでした。ただ、僕が思い描いていた生活とはかけ離れたものでした。そんな日々が2年ほど過ぎた頃、焦ったようにBが職に就きます。僕が逃げ出したことに気が付いたからです。Bはお尻に火が着けば「やれば出来る子」なのです。
拒絶反応
この時を境に僕はBに触れることは一切なくなりました。Bは現在でも実年齢よりは少し若く見えますし、外見も酷く「劣化」した感はないのですが、もうそういう問題では無いのです。ASの人には特定のものへの偏執的な関心を抱く特性があるそうですが、そのためでしょうか?現在でもときどきBは僕に触れようとします。しかし、そうすると僕の身体は無意識のうちに強張り、身動きが取れなくなります。そう、それは明確な拒絶です。
次の2年
その後の2年間も同居解消を求める僕と、だんまりを続け応じないBの間の冷戦は続きました。しばらくすると上司からのパワハラも始まり、自宅でも職場でもかなり精神的に負荷が掛かっていました。ついには強烈な吐き気、アルコール依存が始まり、仕事に支障が出始め休職、そして辞職。見限ったのか逃げ出す先も去り、すべてが失われました。
今、思うこと
あの時、世間体とかを気にせず無理やりにでも出ていけば良かった、と今でも思います。おそらく家を借りることも叶わないであろう現在の僕では、もう出ていくことも出来ない。いや、少し生活レベルを下げれば福祉と投資による収入でも何とかなるかな。
今でも家に置いてもらってBに対する感謝の気持ちはないのか?と問われる方もいらっしゃるかと思いますが、家賃を含む固定費の全ては未だに僕が払っているので、責めないでください。
ここまで酷い事を書いてきましたが、全てのASの人を非難するつもりはありません。Bは相変わらず「ちょっと変わってるけど、いい人」です。世の中にはASの人と上手く付き合うべく努力している人たちも、きっといるのでしょう。ただ僕はもうBと、互いに向き合っている感じも持てないし、同じ方向を向いて歩んでいる感覚も得られないんです。
最後に
どこも、そんなもんだよ。そう言う人は、カサンドラ症候群の「つらさを周りから理解されない」という苦痛を増悪させるだけの人です。また、愛は時間と共に情に変わっていくものだよ、と思った人。たしかに長年、生活をともにすれば情くらい湧くでしょう。しかし、必要最低限のコミュニケーションが取れず、情に変わるはずだった愛が失われてしまった場合、情はどこから湧いてきますか?