N4書房日記 2022 0701-0720
0701
書き起こし原稿を話題ごとに区切って見出しを付けてみると、急に情報が圧縮されて、内容を楽に把握できるようになった。
これから読む人のためには、あまり内容を示し過ぎてもいけないし、かといって素の状態のままドカッと出してしまうのは不親切だし、ここは考えどころである。「何々での再会」とか「女性の社会進出」とか、少しぼかした方が良さげに見える。
0702
印刷会社から本が届いたので、掌編集「『ね』が好きな女の子」の販売を開始する。
冒頭の試し読みや、後記の一部を公開するなど、単に「販売してます」以外の情報提供やサービスをもう少し考えないといけない。時間をかけて少しずつ進める予定。
0703
書き起こしは「話し言葉(音声)」から「書き言葉(文字)」への変換なので、つまり翻訳である。
しかも音そのままを再現するのではいけないので、調整し、並べ替え、削る、すなわち編集の要素もある。編集にはそれなりの価値基準や方針が必要で、しかも露骨に対象となる人物の人となりが出るものなので、彫刻や肖像画の制作にも近い。そう考えるとなかなか深みがある。
0704
吉田仁さんのお話の中に出てくる「ホロフォニックス」を調べているうちに「ファンタズマ」の冒頭っぽい音を発見した。仁さんとコーネリアスの類似性を考えているので、その筋に興味のある人にはお勧めしたい。
https://www.youtube.com/watch?v=wT1XuB95qMk&t
0705
プリンターの「廃インク吸収パッド」の交換が必要、というより「買い替えろ」という強迫に近い状態になったので、仕方なく新しいプリンターを買う。
半ば強引に「買い替えろ」と命じられている訳だが、それでも従わざるを得ないくらいプリンターを酷使しているので、年貢の納め時か。
0706
本が単に「本」としてだけでは売れない、という感覚をひしひしと感じるようになった。ミュージシャンの誰それのライブすら物品販売の話題ばかりになっている。
ライブの利益は物販にかかっていると前々から言われているが、こういう世の中だと、本も読みたいから買うのではなくて、何らかのイベントの「おみやげ」「記念品」として購入する層を意識しなければ売れない。
かと言って、そっちだけを狙っているとやがては「おみやげ屋」「記念品販売ショップ」になってしまう。
0707
「音楽業界4団体による今井絵理子氏と生稲晃子氏の支持表明」の件は勿論、それ以前から自民党に良い点が一つも見当たらない。それでも十代二十代の支持が多いという。コロナはまたぶり返して、神奈川の発熱外来はパンク寸前だとか。
0708
誰かが銃撃されて命を落としたら、普通はまず「何の罪もないのに」と嘆くはずだが、誰の頭にもそういう言葉が浮かばないらしい。言われない、書かれない言葉によって歴史は構成されている。
去年の今ごろは「発言集成」を販売しているとは思いもしなかった。いま製作している本も同様。「一年先がわからず、予想もつかない」とは希望でもあるということを、一年前を思い起こして実感する。
0709
村上春樹の基本的な考え方は「腹が立ったら自分にあたれ、悔しかったら自分を磨け」だという。
こうした心構えは立派だが、何でも「自己責任」のひと言で片付けられる今となっては、模範的な奴隷の思考法になってしまう。貶められるというか、都合よく扱われるというか。憲法にまで汚い手で触るような悪政がエスカレートして、一党独裁に逆らう奴はテロリスト扱いで拷問、となると個人主義ではやっていけない。
0710
今日はインタビューの直しや調整の日で、吉田仁さんの所へ。「ヘッド博士」が出て31周年記念の日でもある。
「NW」と略して書いている単語は「ニューウェーブ」として伝わるかなというご指摘。確かにその通りで、かと言っていつも「ニューウェーブ」と書くのも面倒。一応、最初だけ「NW(ニューウェーブ)」として、以降は「NW」とする。そうなるとGSも通じるかどうか怪しい。
表紙デザイン案は一つだけ「これぞ」という自信作があり、気に入っていただけたようで「これ、貰ってもいい?」と。印刷したものをお渡しする。
0711
「翻訳を産む文学、文学を産む翻訳」を読んでいる途中で、昨日の「NW」の件は、自分がもともとSF好きで、音楽の「NW」よりSFの「NW」を見慣れていたからではないかと思い当たる。
「季刊NW‐SF」というタイトルに中学の頃から馴染んでいるので、音楽方面の言葉として認識したのはYMOのコントからではないか……、とすると……。どっちが先で後か、ますます混乱してきた。
0712
「ニューウェーブ」という言葉の使い方や距離感としては、
SF:バラード、ディック、日本では山野浩一がその枠に入る。
漫画:大友克洋、高野文子、吉田秋生などをまとめて、新興勢力として扱う時に使う。
音楽:YMOのコントで聞いたなあという印象だけ。
……というのが中学の頃の認識で、今もそれほど変わっていない。「何とか界のニューウェーブ」という使い方は無数にあった。確かボサノヴァも「新しい波」という意味だった筈で、まぎらわしい。
0713
ほんの数日前までは「統一教会」という名称すら大手マスコミは出さない、出せないというモヤモヤした状況だったが、ネットではオセロのように白か黒かに分かれてきている。評論家もニュースキャスターも芸能人もメディアも「甘い汁を吸っていたつもりが、実は毒まんじゅうでした」みたいな展開になってきた。
0714
久々に「現金に体を張れ」を観直す。「射殺された馬は気の毒だけど、悪い奴らが一掃されたからいいよね」という感想を持つ人もいるかもしれない。
0715
閣議決定で「国葬」が決められてしまった。「テロは民主主義への挑戦」という建前的なフレーズを唱えれば何でも通ると決めつけているらしい。実際は「政治とカルト宗教の癒着が生んだ必然的報復」ではないか。
ゴリ押しで国葬をしたら、次にはもっと巻き込み被害を誘発する事態が待っているのだし、海外からの要人が死傷すれば誤魔化しが効かなくなる。外圧によってしか日本は変われないのだとしても、せめて今は引き返す好機と考えるべきではないか。やるべきことは国葬ではなくて、政教の分離と徹底的な解明のはず。
0716
出典解説「散歩の達人」の分を公開する。
出典解説の来月分は誰も持っていないような、マイナーな本や雑誌が増えるので少し気が楽になった。
0717
小林信彦の「本音を申せば」シリーズの最終巻「日本橋に生まれて」を読む。
「大瀧詠一はフシギな発想をもっていた。<大滝>と読み易くして、<ナイアガラ>とルビをふることもあったが、ここぞという時は<大瀧>と正字で書く。」
この書き分けの基準は前々から不思議に思っていたのだが、小林説を読んでも今ひとつ分からない。「ここぞ」でない時が割と多いので、あえて謎を残すために「生前からわざと曖昧にしていた」くらいの方が納得できる。
0718
書き起こしで「反則で録ったギター」としていた「反則」が、正しくは「半速(半分の速度)」だった。発音は同じだし、意味もすんなり通るので、最初に聞いた時から一度も疑わなかった。
こういうことがあると「その時、現場にいた」「この耳で確かに聴いた」が当てにならないものだとよく理解できる。
0719
晴れたり曇ったり雷雨になったりで、今が初夏なのか梅雨なのかもはっきりしない。夏らしくないタイミングで鳴いている蝉が気の毒になるほど。
0720
この日記は9月か10月まで休みます。
出典の解説は週に一回ペースで続けます。
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