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よりぬきベレー帽日記 0518-0524

0518

「ミックス作業について」を書く。これはいずれnoteで公開するつもりの文章で、結果としてはかなり長くなってしまった。「文章は簡潔に、分量は少なめに」と心掛けてはいても「詳しく、細かく、誰にでも分かるように説明したい」という考えと両方がせめぎ合うので、題材によっては長くなってしまう。

ミックスについては、大きな経験をしたトークイベントがあるので、もしかすると録音していたかもしれないと思って調べたら見つかった。時期は2020年の6月だった。


「レクチャー~」は販売開始から一ヶ月が過ぎているので、そろそろ注文がゼロの日があっても不思議ではない。今日はやけに静かに感じられるので、これは? もしや? と思っていたら全くそうはならず「こういう本を待っていました」とありがたいコメントをいただく。


アニメ「平家物語」の6~7話を見る。

7話ではいよいよ、清盛の死という大きな節目を迎える。徳子が清盛の命令に背き、やけに立派に反論する。ここは原作に沿っているのか、アニメの脚本家による独創なのか、はっきりしない。「思うがままに欲望の限りを尽くすことで、かえって不幸になる人間を多く見てきた」「たとえ思い通りにならない人生であっても、泥の中に咲く花となるべき」などなど。こういう発想は、なかなか当時の人は思いつかないのでは。

徳子が悲劇的な死を迎えることは予告されており、しかも主人公の「びわ」も清盛の死後、平家の庇護から離れることになる。このあたりの流れが残り4話でどういう展開になるのだろうか。



0519

「ミックス作業について」の残りを書いて、さらに補足も書く。ミックスに関する本のことと「音楽を所有しているのは誰か」という話題で、書いているうちに夢中になり、いろいろ追記する。追記した方が全体としてスッキリしたので、2200字にまとまった。


アニメ「平家物語」の続き(8~9話)を見てみると、平家一族は源氏に押されて没落するばかり、と憐れみを誘う流れになった。

そのきっかけを作るのは山育ちの野生児、木曽義仲である。
葉っぱを口にくわえて「にしし」と笑う。声の感じも含めて「ドカベン」の岩鬼みたいなイメージである。

一方で、主人公のびわは生みの母を探して旅をする。
途中で3人の白拍子と出会い、こちらはPerfumeのようなイメージである。世の中が内戦で荒れており、京都も木曽義仲が乱暴狼藉の限りを尽くしている。「平家の方がまだましだ」と噂されるほど酷いが、それでも白拍子は身ぎれいで、たくましく、芸で身を立てているというのは不思議といえば不思議である。オリジナルキャラクター風だが、調べてみると原作にも登場し、当時からそういう人がいたのであった。

その後、木曽義仲は源義経の登場であっけなく退場し、義経のひよどり越え、敦盛の最期、と有名なエピソードが続く。一話が23分ほどなので、二話くらいずつ見るペースがちょうど良い。



0520

ミックスの話題の補足を書いて、次は「カメラ・トーク」のロンドン・レコーディングの話題。これもダラダラ書くと長くなってしまうので、なるべく簡潔になるよう心掛ける。


「よりぬき」の最後に「出典一覧」を書くのは気が進まないよなと、ウジウジ考えているうちに「自分の文章を自分で選んで、出典一覧なんて書くのは恥ずかしい」というタイトルで文章を書けばよいと思いついた。これを付録にすればお得な感じがしていいかもしれない。



0521

平清盛と西行は同じ年の生まれで、対照的な生き方をしたと知る。嵐山光三郎は小説で「西行と清盛」、歴史学者の五味文彦も同じ題名の本を書いている。


「よりぬき」の目次を書きながら、短い文章のタイトルをそれらしく整えてみると、次第に恰好がついてくる。朝4時から7時にかけて、こういう作業をしていると楽しくて仕方がない。


日記のタイトルだけでこれだけの種類がある。期間はおよそ2年。

 

03号編集日記 2020.0901-1108
03号販売日記 2020.1109-1128
04号への橋渡し日記 2020.1129-2021.0102
03号と04号の間をフラフラ日記 2021.0103-0430
04号から05号まで日記 2021.0501-0619
豆新聞まめまめ日記 2021.0620-0626
N4書房の販売日記 2021.0628-0710
N4書房日記 2021.0711-0731
N4書房の夏休み日記 2021.08.01-0831
05号制作日記 2021.0901-1130
N4書房日記2021 2021.1201-1231
N4書房日記2022 2022.0101-0720
2022年末日記 2022.1023-1231

noteに書いた日記タイトル一覧

 

夜、2020年9月から2021年6月まで読み返して、取捨選択するとかなり濃い内容になる。それでも20ページほどに収まったのでよかった。



0522

日記の再読と選択の続きをする。取捨選択には慣れてきて、内容もこれといって悪くはない。自分でもそこそこ面白いが、余計なことまでいろいろと思い出すので「思い出し疲れ」というか、自分に当てられて疲れる。自分から逃避したくなる。


日記の期間の真ん中あたり(2021年7月)に来ると、唐突に東京オリンピックのバッシングの話題が始まり、しばらく続く。多少の距離を持ちながら状況を見ていたように思っていたが、当時のことを細部まで振り返り、引き込まれた。


過去のメルマガに「06号に書ききれなかったこと」というシリーズが1から10まであり「何をそんなに書いたんだっけ?」と思いながら読み返すと、これもまた引き込まれた。内容をすっかり忘れて、引き込まれてばかりいる。


夜、インスタグラムでsiloppiさんから言及があり、雑誌「ポパイ」の記事「サロン・ミュージックによるドライブミュージック10選」を紹介してくれていた。これはずっと探していたのでたいへん有難い、貴重な資料といえるもの。



0523

過去のツイッター(X)の発言を検索していると、誰かが何かについて言及した記録の倉庫として、たいへん面白い。これこそ文化遺産、人類の財産だという気がしてきた。自分の発言では、


「フリッパーズ・ギターについて書けることは一行もない」と思っていましたが……、


なんて言っている。その後、何行くらい書いたのか数えるのも難しい。



大人になると「今から何々をするのは絶対に無理だ」と考えてしまいがちだが、自分でも意外な方向にばかり物事が進んでいる。


日記の取捨選択を続ける。角の立つような発言は削る方がいいのか、そのまま残した方がいいのか、判断に迷う。いろいろと考えたが、迷う箇所はバサバサと切って、ノーカット版を読みたい人はnoteを読んでもらうことにする。


読み書きに疲れて、シネマの「電話・電話・電話」やBOXなど、松尾清憲の曲をいろいろと聴く。


そういえば「レクチャー&~」のP.31にFILMSの話題が出てくるが「鈴木さえ子さんが在籍していたのはシネマでは?」という質問をしたことがあった(FILMSと似た名前だが、どちらも存在していた。この部分のやり取りはカット)。


その後、動画「ポール・マッカートニー【革命的ベースライン】10選」を見る。


ポールのベースが雄弁にメロディを歌っているという知識はあったが、実際にそれを細かく聴いたのは初めて。



0524

二年分の日記を大まかに取捨選択したら、およそ70ページになった。枝葉をカットするともっと濃くなって読みづらいかもしれない。最初は小ネタ集、中間はオリンピックの件、後半は「発言集成」「レクチャー」の話題が中心。コロナ禍の時期でもある。


01~04号はともかく、久しぶりに05号を読み直すとかなり長い文章を書いており、カットするのも大変。メルマガからは5つほど選んで30ページくらい。土日に集中すれば、「よりぬき」はほぼ完成しそうに思えてきた。


夜、「平家物語」の10.11話を見た。11話でお終い。有名な「扇の的」のエピソードがこれほど後の方だったとは意外で、この局面でこういう挑発をするのはユニークだし、結果や反応も独特のもの。壇ノ浦以降はある人物のその後を辿るようになって、きれいな終わり方だった。


*この日記はおよそ一週間ごとに更新しています。

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