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03号編集日記 1005-1011

11月に文学フリマ東京で販売予定の「ベレー帽とカメラと引用」03号の製作・編集・進行具合などをメモした日記です。毎週日曜日に更新する予定です。

1005

あいみょんとオザケンの対談があるので深夜0:45まで起きて「Love music」を見る。この人は本当に小沢健二の大ファンで、書いた歌詞の内容がシンクロしていたとか、自身の作った音楽が届いて「彗星」になったとか、胸に迫る内容だった。

朝日新聞の記事によると、

高校生の頃に小沢の音楽と出会って以来「オザケンになりたかった」あいみょん。小沢の書く詞について「もともと知っている言葉なのに新しく聞こえる」

とのこと。

書いたものが誰かに届くというのは実に不思議だし、三十年も経ってから褒められたりするし、思いがけない人との縁もできるし、世の中はそう捨てたものではない。

 

朝になって、某氏のコーネリアス関係の原稿が届く。ほぼ完成しているので、特に直すところはなし。

タイトルが「どうせ死ぬならコーネリアスとビーチ・ボーイズに挟まれて圧死したい」では少し物騒なので「圧死」「死にたい」を避けて「天に召されたい」などソフトな表現にしてはどうか。

「至福のとき=いっそこのまま死んでしまえたら……、」というイメージで。

「コーネリアスとビーチ・ボーイズに挟まれつつ天に召されたい」

「コーネリアスとビーチ・ボーイズに挟まれて永遠逝きのブラスターへ……」

「コーネリアスとビーチ・ボーイズに挟まれて天に召されたい午後のひととき」

など案を出す。


一年前に話した内容を再現するために、メモを頼りに原稿を書いている。そうするとあれもこれもで長くなる。自分の話を録音したデータを聴くと、内容はともかく声や口調に恥ずかしさを感じる。増補版と言っても普通の増え方とは違うので、180~250%くらいになっている。



1006

表紙が完成した。と言っても、ただ水色の紙に白い文字があるだけ。この色合いは「ヘッド博士」の歌詞カードのイメージだが、うまく似せられるかどうかは難しい。



1007

某氏の原稿のタイトルは「いっそのこと」をつけて、

 「いっそのことコーネリアスとビーチ・ボーイズに挟まれつつ天に召されたい」

で、とりあえず決定。

 

自分の原稿も少しタイトルを変えた。

「ピクニックには早すぎる」に始まる二、三の傾向  

「カメラ!カメラ!カメラ!」の哀切さ 

多くの人と共有したいFG関連の雑誌記事ベスト5

などなど。

雑誌の記事は論評したいのではなく、少しでも多くの人とこの情報を共有したい、という気持ちが強いので。お勧め度と、紹介&共有したさ加減、そして面白さのランキングになっている。できれば04号ではもっと発展させて「FGの雑誌記事30選」くらいにしたい。

 

書く前は、材料が少ないのでは、内容が薄いのでは、とビクビクしているのに、いざ書き始めると長くなり、内容が濃すぎるように思われてくる。「もっと親切に、わかりやすく丁寧に書こう!」と考えて直していると、また長くなる。

 

「和田誠切抜帖」を読んでいたら、1990年の10月から91年の4月までの日記があった。FGの活動の後半、いわば最盛期に、世の中で何が起きていたかの記録といえる。

「武満徹の還暦を祝う会」があったり「村上春樹全作品」の装丁をしていたり。井上陽水が自宅に遊びに来てビートルズを歌ってくれる、という話題もあった(長男がビートルズ・ファンで、と書いてある)。

この頃にFGはシングルを何枚か出して、レコード大賞があって、同じ東京都内で血眼になって「ヘッド博士」を作っていたんだなあ、と考える。この日記のことも03号のどこかに入れて、もうちょい詳しく紹介したい。

「怪盗ルビー」の作詞をした和田誠自身による、韻を踏んでいる単語の例が別のページにあった。「ダイアモンド」と「温度」、「さんご」と「タンゴ」、「ハート」と「鳩」、「花」に「罠」に「棚」に「穴」、「リオデジャネイロ」と「音色」など。ほとんど誰も気づいてくれないとのこと。

 

 

1007

ひねったことを書きたくなるのを我慢して「自分は大体こういうことを言ったよね~」という内容だけを書くのが退屈になってきた。

ほどほどに脱線を入れた方が良いではないかとも考える。脱線もそうだし、ふらつくような、ちょっと危うい繰り返し、ためらい、言いよどみの持つライブ感、味わい、空気のようなものを再現したいし、書き入れたい。

聞き手のざわざわした囁きや笑い、どよめき、「うーん」という疑問や感心の唸り声など、そういう要素も実際には多々あるのだ。

「ここでちょっと、お恥ずかしい話ですが……」という一種の譲歩、聞き手の方に降りていくような告白など。

学校の先生だって、授業を録画したものを自分自身で編集しはじめたらきりがないのでは。


 

1009

確か「DOLL」にロリポップソニックのインタビューがあった筈だが、現物が手元にないので検索しているうちに元FGの井上さんのインタビューを偶然みつけた。

 

「それである日『ポパイ』を立ち読みしていたら、街角スナップに小山田くんが出ていて。実は当時は長髪だった上に恰好がフェミニンで、名前もひらがな表記だったので、ボーイッシュな女の子だと勘違いしていました。小山田けいこ、17歳(笑)。」

 

 「たしかレコード会社から、「ロリポップ・ソニックだとインディ感が強すぎるから変えろ」と言われたように思います。私たちは名前にはそこまでこだわっていませんでした。ただ、小山田くんがひとつだけ決めていたのは、“F”で始まるバンド名であること。彼曰く、ロゴにしたときに“F”だときれいらしく。だから“F”で始まる名前をひたすら考えましたね。」


 https://girl.houyhnhnm.jp/culture/indie_mind_forever.php


雑誌「NERO」1号では佐野洋子と息子さんの広瀬弦、コーネリアスという組み合わせの鼎談がある。もともと井上さんが佐野洋子のファンだったことがきっかけらしい。

ということは、FG時代の小山田氏は井上さんからの推薦で「あっちの豚 こっちの豚」を読んだものと推測できる。

このインタビューはあまり読まれていないようで、実にもったいない。ネットで小さな情報が二つあれば、それをつなげて読むだけでちょっとした仮説や実証に結びつけることができるのだ。

 

読書関連ではもう一つ、本日公開の「教授動静」第26回によると、坂本龍一は最近、石川淳を読んでいるという。


「そう、ぼくはもともと小説はあまり読まない人間だったんですけど、このところずっと読み続けている。石川淳のブームから始まっているんですよね。石川淳を乱読してそこから派生していって、志賀直哉、永井荷風、いまは吉田健一にはまっています。おもしろい」


 https://www.gqjapan.jp/culture/article/20201008-sakamoto-dousei-26


この編集日記の前回のリンク先にあるように、FG時代の小沢健二は愛読書として石川淳の「狂風記」を挙げていた。NYでオザケンと坂本教授で石川淳をテーマに対談してほしい。

これから石川淳を読もうという人は講談社文芸文庫の「紫苑物語」か、平凡社ライブラリーから出たばかりで、しかも龍つながりの澁澤龍彦編「石川淳随筆集」がよいと思う。

 

三品輝起という人の「雑貨の終わり」という本が面白そう。見ているうちに「三品」という名字は自分のペンネームにぴったりのように思えてきたので「ドゥーワッチャライクを概観する」を書くのは三品量子とでもしようかとメモする。ありそうで、かつ嘘っぽくて、シンプルな名前がいい。

 


1009

台風が来て雨になった。A4サイズのノートに文章を書いたり、切ったり貼ったり、書きこんだりして、またPCと行ったり来たりで、整理しきれない。


 

1010

 文章を書く理由としてよく目にするのは「自分の思いを伝えたい」とか「自分を表現したい」とか「自己実現」など。しかしそういう欲求は自分の中にはほとんどない。

では何があるかというと、内容以前に「このタイトルで文章を書きたい!」なら結構ある。

「ベレー帽とカメラと引用」03号のサブタイトルは「少しだけシャイなふりをした変な角度の03号」で、これだけがモチベーションですと言ったらやや言い過ぎだが、本音としてはそれに近い。

 

大学で話した「FGの時代とことば」は書けば書くほど足したい話題が増えてきて、一万文字くらいになった。他の原稿のことも考えると、100キロマラソンの12キロ地点あたりをトボトボ歩いている。

 

「僕ら」に関する考察はおおむね終わったと考えていたのだが、書きそびれていたこととして、松本隆の「僕ら」、三島由紀夫のエッセー、中村雄二郎の人称の問題があった。1stと3rdの「僕ら」について書くなら、前置きとして少し触れておきたい。

 

 1011

朝起きたら、また別の観点を思いつく。書く作業と、考察そのものが別々になっているようなので、これはこれで少し書いて、03号のどこかへ埋め込むことにする。


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