こころの灰皿 #005
昨年末あたりからじわじわと自分のとある価値観の変化を感じ、そこに素直に葛藤してることについて、だんだん言葉になってきたので、ちと吐き出す。
価値観は行動に直結するタイプではあるので、決めたらそのように言動に一貫性があるように生きてきたつもりだし、その工程においての違和感を徹底的に潰して、自分には自分がきちんと素直になるようにしたいと思っている。
とかいいつつ、今年はまじでいろんなことが起きて、自分の行動力や決断にあとからびっくりすることが多い。一つも後悔はしていないんだけれど、あまりの自分の決断と行動の速さに、あとから自分のなにかが追いついてないというか、ホメオスタシスが後発でひょっこりしちゃっている感じ。
なにかに違和感を感じた時、なんでこんな感情になるんだろうって自分に問うことにしている、しかもわりと徹底的に。じゃないとなんとなくやりすごして、その擦り傷みたいなところから知らぬ間に、心が化膿してしまう感じがあるから。言葉にしたり、原因を突き詰めることにしている。
正直、めちゃくちゃ怖いときもある。自分の気持ちを自分で認めたくなかったり、勝手にざわついたり。でも結果すべて、決断してよかったと思うし、そのあとの騒動をみても、適切なタイミングであったと思える事が多い。
価値観に素直にしすぎるってとこは、逆にエゴというかこだわりを産みすぎることもあるなって、頑なさはいらんなって気づきもあって、それがこのところいろいろ心がざわついてしまう。「今まではこうしてきたから、今回もこうするべき!」とか「うーん、これが私のスタイルだから、これが正攻法!」と考えていると、だいたいの落とし所みたいなものが見えてくるんだけれど。
いやまてよ?そもそもなんでこんな気持ちになってんだ?!
って自分で自分を客観視してしまうタイミングがおこるというかw心の中で仮決定をしたときに、さらに迷走するというか、違和感がのこり、いままでそうだからって、今回もそれでいいの?ほんとにスッキリしている?みたいな感覚。
自分に対して自分が「は?」ってなるから、そういうときも、きっかけとなった出来事やそう思う状況をしっかり思い返し、きっとなにか私の中の何かが、未来のために変容しようとしているんだと思う。(このへんうまくまとまってない)
確実に自分の中に何らかの変化が起きてきているのかもしれない。でもなんでかはよくまだわからないんだよね。そしてもし、「じゃない方」を選ぶとしたら、過去の経験やら今までの諸々から、んん。。。相当な覚悟と勇気がいるなってこともうっすら見えているから、たちが悪いw
今までなら、強引にでも我が道~!って振り切って、MYスタンスを貫いて来たのですが、なんかソレじゃあ行けない気がするし、自分的に前例もないし、ってうにゃむにゃしている。(まじでむにゃむにゃうにうにしている)
決断するときには、大なり小なり「今の決断」をこうしてみたらどうなるだろうって突き詰めると、結局やったことがないから、こんな状況は未知だからっていう「知らないだけ」だったりする。そう考えられればシンプルで、知ればいいから、知るように動こうってなるんだけど、なーんかストッパーがかかるんだよね。まじホメオスタシス超発動しているんだよね、おもろい
ダメな理由とか、進まないようなリスクヘッジが浮かび始めたら、やりたいのにホメオスタシスが止めにかかっていると思って、一旦全部だして、じゃあそれが解決すれば幸せなの?みたいな極論をぶつけるしかないんだけど〜
何歳まで生きるかなんて知らないけれど、ここ数年前から今も想像できなかったように、未来なんてなんも分からないから、今したいことを存分にして、素直に行けばいい、結果全て経験になり、未来にはすべて思い出話になるっって言い聞かせ始めているんだけどね(さっきもこんなこと書いてたくね?読み返さんのでこのままいきます)
逆にね、過去の経験は過去でしかなくて、自分は変化しているし、今自分が自分の気持に全力でぶつかっていかないと、だれがぶつかるんだって話で、心のままに、ブレーキをかけずに生きるから、未来で振り返っていい思い出になる。自分に素直になれずにいたら、きっと未来「タラレバ・未練」しか残らないのもわかっているしね。
価値観って難しいけど、これがたのしいんだよね。なんかホント最近、「あたし人間しているなー、生きているなー」って感じること多くてさ、これも本当に私にしたら想像できない未来なんだけど、自分がした決断と行動によりもたらされているから、過去の自分に感謝。
あれ、なんかきれいに終わったから、ここでおわるw
最後まで読んでくれた方ありがとう。
またね