こころの灰皿 #002
もはやシリーズになりそうな、気軽に吐き出す
灰皿です。
私はいつから冷静になったんだろう。
私はいつから聞き分けのいい女になったんだろう。
良くも悪くも。何が起きても動じないし、
何を聞いても許容する。
「仕方ない。んで?この先どうする?」
という思考に切り替えるスイッチを備えてしまった。
これは、仕事も恋愛も。
いい事なのかな...きっと時と場合によるのに、
なーんかあたしロボットみたいになってない?って思う時がある。
仕事では、そんなことを数年にわたってちょいちょい感じる出来事はあった。それは主に、私という存在が「搾取」される時。
仕事でいいように扱われたり、雑に扱われたり、そういうとき。でも、その仕事のゴールが達成出来れば何でも良かったから、特に気にしてはなかったんだけど、きっと自覚なく消耗してたんだと思う。
恋愛では、いわゆるわがままを言ったり、拗ねたり、駄々を捏ねたりと、そういうヒステリックな表現はもう記憶が無いくらい暫くしていない。自分を保つために封印している。という表現が近いかな。
そもそも、いつからか、元々なのか、、
心をあまり開かないし、他人に期待をしないようにしている。傷つきたくないから、自衛。
とはいえ、御縁あって出逢った人達は大切にしたいし、わりと冷静だとしても、冷たい人とは思われない程度の配慮はしているんだけど、なんかこれでいいのか?って思う時はある。
わりとズバッと言ってしまいがちで、仕事では役割的にそこを刺せる人が居なくて、それを担っていたからってところも大きい。(仕事における色んなことはまた別途)
もともと、奔放で天真爛漫って言い方でいいのか分からんけど、大元は感受性の強いタイプで、わりとちゃんとワーキャーするし、嬉し泣きももらい泣きもするし、言葉に擬音が多いタイプ。(配信をしてから取り戻してる感大いにあるから、これを読んでくれてる人は、そう感じない人もいるかもだけど)
んが、、んがしかしぃ!
仕事を通じて成長するのに、 全てにおいて、事実と感情を分けるとマジでノンストレスってことを覚えてしまい、お仕事において、つよつよになったのはいいんだけど、きっと分けすぎて、プライベートでもいつからか、必要以上に『感情(私情や主観)を抑える訓練』をしすぎてしまった気がするのよ。
その結果、自分のクリエイティビティと言うのか、想像、創造する部分のエネルギー源になる感情の元がわからなくなっているのかもしれないと、 言う言語化がふと降りてきたから書いてる。
あなたは何がしたいの?
それは何で?何のために?
ってコンサルでよく聞くんですよ。
WHYってやつね。
え?あたしのWHYは何?って、、
みんなのエネルギー源ってなに?
なんで頑張れるの?誰かのため?
自分のためだけにがんばれる?
私自分だけになんかやるとかほんとに何したらいいか分からなくなっちゃうのよね。自分持ってそうじゃん?あるけど、特に言えるものがない。
実はとてつもなくふわふわしてる。
だってね、なんでもいいの、楽しければ!
みたいな。
誰かの為なら色んなこと考えられるし、でも自分の心ををいつからか置いてきてしまったのかな、、と。
長女病なんて呼んでたけど、そういう名前をつけて自分を当てはめてただけなんだきっと。(これは割と10年位で治療してきた)
わたしは愛に飢えているのかな。
いや、愛は与えるものだしな。
誰かに愛される資格があるとも、
自覚はしていないもの。
ほらね、他人に期待しないようにしてる笑
ただそれも、大きく言えばここ2年くらいで、ゆるーく、変化が体感として徐々に変わってきている感じはあって、特にここ半年位は自分でも驚くような行動をしているし、色んな有り得ないことが起きてるけど全て何とかなっているし、ここに来てさらに気付かされてるし、客観的にひくときすらある笑
何してんのあたし笑
スマートさを求めて、合理性や効率性を極めてきたけど、やっぱり人間らしさ、人間くささみたいなものを取り戻したくて?憧れてんのかな?
わたしは結構もがいている。
手応えというか、人間らしさを取り戻してきた感覚は少しあるから、きっときっと今の感情は、論理⇒感情にいく変化を現状維持バイヤスが邪魔しているんだ。 って言葉にしたら、めちゃくちゃなんかハラオチした。
論理的に戻ろうと、変に気持ちを分解しようとしすぎてるのかもね。 感じたまま、 恐れず受け止めればいいのにね。(他人事)
にしても、何を恐れているんだわたしは。
失うものなんて、 何も無いはずなのに。
ʅ( ・᷄֊・᷅ )ʃ