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いい大人になった私の話①

初めまして。tamaといいます。

今までただの日記ブログをつけていましたが、新年度になにか新しいことをしてみたいなと考えまして…noteに来ました。
これを何に使うかはまだ決めていませんが、取り敢えず#自己紹介ということで。

幼少期

ただ普通の子でした。両親が厳格だったので塾や習い事を複数していましたが、本人は普通の子なのでもちろん大成はしません。だけれども両親は期待をかけます。私には弟がいて、その弟よりも優れていなくてはならない。面倒を見なくてはならない。と勝手な妄想に囚われながら生きた幼少期だったと思います。ただ、普通の子なので、自分の能力と振る舞いにギャップを感じて、鬱になる日も近かった訳です。私は当然のように躓きました。生きていることが、辛いと感じるようになりました。それでも私は、どこかで期待に応えなければならない、という誰からともない声に引きずられていました。これは、今もまだ残る感覚です。私にこの声をかけたのはいったい誰だったのか。知っている人がいたら教えてほしいです。

中学生、高校生のとき

普通の子なのでそれなりの私立高校に入学しました。ただ幼少期からの生きづらさはこの時の私を苦しめました。自我が目覚めたら生きづらいことに気づいてしまったのです。子供ながらに行きづらさを感じるのは不憫だなと思う一方で、お前何甘えてんの?と叱り倒したいくらいに恵まれた環境だったと思います。それは、私が子供を産んでからしか分からなかった感覚かもしれませんが。父親は成長産業の大企業で企業戦士としてある程度成功したのでお金は多少ありました。母親は専業主婦なのでずっと家で面倒をみてくれました。何を苦しんでいるんだね?そのときの私の見てくれはブスでした。綺麗にする気もさらさら無かったと思います。ただブスであることを気にして生きづらさは感じていなかったと思います。恋とかしてたし。自分のことを好きでないと相手方を好きにはなれないと思いますので。だから、総括すると生きづらさという甘えに手を染めたメンヘラです。今思えばただそれだけです。そして、学校にもほとんどいかなくなり、中退しました。だけれどリスク管理なのでしょうか、大学に行くと勉強し出したらしいです。受験勉強を始めたのは高3で、be動詞がよくわかってないと周りを驚愕させたそうです。だって生きづらくて、勉強なんてしてる場合じゃなかったの。そんなカスボイスが聞こえるようです。そして何故か、外へ出るとモテることに気付きました。ブスなのにモテる。その謎を知るために…ではなく、生きづらさをオーラとして出す術をこの頃には習得していました。あぁなんて可哀想な子。それにつけ込む人達が寄ってくることをモテると呼んでいただけなのであろう。今もそういう節があるから気をつけような、私。

つづく



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