10年前の9月に愛猫が来た。My beloved cat came in September 10 years ago.

 今、住んでいる部屋の東側の窓から、青い空と白い雲がよく見えます。4階建ての4階ですが、もともと高台に建てられているので周りに遮るものがなく、それほど高層でもないのに景色と風通しは抜群です。
 22年間、この景色を見ています。ここが終の棲家だと思っていましたが、来年の2月に急遽引っ越しなので、それ以後は、この景色が見られません。私は猫のような性格なので、好奇心はあっても、環境の変化を好みません。引っ越しは喜ぶべきことなのですが……。ちなみに引っ越し後の部屋は8階建ての6階ですが(今よりも目線の高さは圧倒的に低くなり)風通しも眺望も期待できません。
 私は本物の猫も飼っていますが、猫なら、なおさら引っ越しなどお断りでしょう。22年のうちの10年間、猫は今の環境を受け入れ、馴染み、自分の居場所として確立しました。人間はいろいろな事情を理解しながら、心の準備をしながら、ここではないどこかへ引っ越すことができます。しかし猫はそうではありません。「猫と会話ができたらいいのに」と思うのは、こういうときです(猫の体調が良くないときにも、そう思います)。会話ができれば、飼い主は自分勝手な事情を猫に言い訳できますし、その結果、猫は心の準備ができます。
 でもまあ会話ができないからこそ、人は猫を飼うのでしょうし、猫は人に飼われるのでしょう。仮に会話ができたら「お前には飼われたくない」と言われるかもしれません。だからこそ私は「猫は猫の意志で飼い猫になったわけではない」ということを忘れないようにしています。
 我が家の猫はもうシニア猫で、人間の年齢に換算すると飼い主と一緒くらいです。来年の春には追い抜かれて、その後は歳の差は離れるばかりです。10年間、私は私の猫に助けられてきました。そしてこれからも私の猫は、ただそこにいるだけで、私を助けることでしょう。しかし、私はこれまでに、私の猫を飼う以外に何ができたのか。そしてこれからも、私の猫に一体何ができるのだろう。これからの私の生きる意味は、きっと、そこにありそうな気がします。社会的な貢献とか、経済的な達成とか、自己実現とか、そういうこととは全く違う人生で、他人から見たら、きっと意味のない、つまらない人生かもしれませんね。でもまあ、たった一匹の猫を幸福にするための飼い主としての人生も、それなりの意味がありそうで、私は充分に満足です。

追伸

 東側の窓からは義母が一人で暮らすマンションが(小さくですが)見えます。距離的には自転車で10分くらいです。双眼鏡をつかえば何も遮るものがないので(義母が手を振れば)手を振る義母を見ることができます。引っ越し先の部屋は部屋数が増えるので、いつでも同居が可能です。同居については義母にも提案していますが「まだいい」と言うのが、今のところの答えです。引っ越しをきっかけにして、ずいぶんいろいろなことが変化していくような気がします。猫的な私は戸惑うばかりですが、それこそが、でもまあ、人生ですよね。

いいなと思ったら応援しよう!

wewillmeetagain
もしあなたが私のnoteを気に入ったら、サポートしていただけると嬉しいです。あなたの評価と応援と期待に応えるために、これからも書き続けます。そしてサポートは、リアルな作家がそうであるように、現実的な生活費として使うつもりでいます。