私は本当に変わった人ですか? Am I really strange?

 先日、義理の父の墓参りについて記事を書きました。義理の父だけでなく、妻の実家のお墓参りにも行くことがあります。
 では、私は私の実家の墓参りに行くのか? 答えは、行きません。そもそも実家に帰るという発想が、私には全くありません。22年前の3月に実の父が亡くなったときでさえ、葬式を欠席した息子です。ちなみに私は次男ですが、仮に長男だったとしても欠席したはずです。でも私はその年の5月に帰省しています。当時付き合っていた彼女(現在の妻)を「結婚するから」と私の母と兄に紹介するためだけに、実家に帰りました。私的には、それすらパスしたい気持ちでしたが、結婚相手と相手の親の手前、パスもできないので……。そのときに墓参りをしたような(?)気がしますが、定かではありません。ちなみに母はまだ健在ですが、母の葬儀にも欠席するつもりです。そのことは既に実家の母と兄には伝えています。
 私が、実家に帰らない、ゆえに墓参りもしないことについて、生前の父や存命の母と兄の反応はどうなのか?と言えば、最初は「宥め賺し」で帰省を促しましたが「怒り」を経て、最終的には「諦め」になり、今では何も言いません。私はこの経緯を「実家離れのための家族教育の成果」であると自負しています。
 ちなみに妻は、この「母の葬儀にも欠席するつもり」および「実家離れのための家族教育の成果」については「呆れてしまって、ものが言えないわ」と「すでにあなたには諦めているけど、本当に変わった人ね」であり、大体「呆れて」と「諦めて」中間の見解を保持しています。
 実家を離れて都会で暮らす私が、学生時代や独身時代に、散々聞かされた質問に「お正月(お盆)は帰省するの?」があります。最初は常に正直に「もちろん帰省なんかしませんよ」と言っていました。すると大抵怪訝な顔をされます。何か言いたそうなのに、何も言えない、という顔もされました。会社員になってからは「帰省しません」と言うと、怪訝な顔を通り越して、説教までしてくる大人まで出てくる始末です。「あなたは私の親兄弟でもないのに、なぜ怒られるのか?」と心の中で思っていました。さすがに私も馬鹿ではありませんから、そういう相手には「帰省します」とか、「お正月(お盆)に帰省したので、今回のお盆(お正月)は帰省しません」とか、「帰省したくても、今年は仕事が忙しくて」とか、そういうふうに言うようにしました。そうすると納得したり、同情(?)したりしてくれます。
 どこからか「友人の結婚式とか同窓会には出ないの?」という声が聞こえてきそうですが、もちろん出ません。最も仲の良かった(と少なくても私が思っている)中学時代の友人(結城君)は、まだ結婚していません(今後もし結婚式に招待されたら、往復1000キロを日帰りするか、ホテルに泊まって実家には知らせません)。同窓会に誘われたこともありません(そもそも私の現住所を知らないはず。知らせるほどの友達もいません)。
 私が、なぜ帰省しないのか? 墓参りしないのか? 実家や地元と距離を置くのか? その理由というか、言い訳というか、言い逃れというか、そういうのも、ないことはないのですが……。本当は、もっともっと面倒臭い、そして結局わかりあえなかった家族間の葛藤のようなものや、小・中・高校時代のイジメも含めた学校に馴染めない違和感だらけ学生生活とか、そういうのも、あると言えばあるのですが、それを記すと、だらだらと長くなるので、あえて書きません(書くのも読むのも辛いから)。
 だからこの記事を読む皆さんには「本当に変わった人ね。呆れるわ」と思っていただけると、私としては満足です。

追伸

 私が若い頃コピーライター時代に知り合った先輩ライターが、夫婦の会話で、私のことを話題にしたそうです。奥さんに「僕の知り合いの若いコピーライターは、新潟出身なんだけどね、お盆もお正月も実家に帰らないんだってさ。変わっているよね?」と言って、同意を求めました。すると奥さんは「変わっていないわよ、全然。どうして実家に帰らなければならないのかしら? 変わっていると思う人の方が、変わってるんじゃないの?」と答えたそうです。ちなみに奥さんは五島列島出身だそうです。変わっている人は、どこにでも、いつの時代にもいますから。

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