霧黄なる市に動くや影法師 Fog and fog Become yellow, In the city of London Move around, You and me Shadow lawyer
私はときどき漱石の俳句を読みます。『漱石全集第十七卷 俳句・詩歌』(岩波書店刊)をパラパラとめくると、いつも何かしら静かな発見があります。例えば、以下の句は漱石好きでなくてもご存知の方は多いと思います。
「有る程の菊抛げ入れよ棺の中」
友人の大塚保治(『吾輩は猫である』に登場する迷亭のモデル)の妻、楠緒子への手向けの句です。これには別バージョンがあります。私は迂闊にも見落としていました。
「棺には菊抛げ入れよ有らん程」
俳句素人の私が言うのもおこがましいですが両句とも甲乙つけ難いです。
さて手向け繋がりといえば、以下の一句も私は大好きです。初出は高浜虚子宛の書簡です(明治三十五年十二月一日)。
「霧黄なる市に動くや影法師」
漱石が『倫敦にて子規の訃を聞きて』詠んだ五句の内の一句です。明治三十五年九月に他界した子規の追悼文を、虚子が漱石に依頼したところ、その代わりに五句を送ったと、全集の注釈にはあります。同じく注釈によれば、子規の死について漱石は同書簡で以下のように記しています。
「かゝる病苦になやみ候よりも早く往生致す方或は本人の幸福かと存候」
一読すると、ずいぶんな表現ですが、漱石の心の奥の奥にある、親友としての無念さを感じるのは、私だけではないと思います。漱石は追悼五句の最後に「皆蕪雑句をなさず。叱正」と記します。今は亡き、俳句の師にこそ、叱正してほしかっただろうに…。
追伸
私なりに「霧黄なる市に動くや影法師」を解釈すると、霧の倫敦に動く影は、漱石自身であり、魂となって海を越えた子規でもあり、その二人の散策の姿のようでもあり(これ以上は野暮なので擱筆)。
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