そうだ墓参、行こう。Well, let's go visit the grave.

 私は自分の父親の墓参りに何十年も行っていません。足が遠のくのは距離のせいばかりではなく、そこがもう私にとっては(母が存命ですが)あらゆる意味で故郷ではないから、ということなのでしょう。
 その代わりと言っては何ですが、義父(妻の父親)の墓には何度も墓参しています。1時間以内に行ける近距離、という理由だけで、頻繁に墓参するわけではありません。そこに行くと義父の「生き様」や「死に様」を感じるからです。その様から「ただ生きるだけでいい」というメッセージが受け取れるからです。帰るときにはいつも、勇気と元気と無条件な自己肯定感がもらえます(良い意味で死ぬのが怖くなくなります)。そういうとき「墓参りは生きる人のためにある」と実感します。

追伸

 義父の墓には「慰霊碑」と刻まれています。義父は公営墓地の隅で「無縁仏」として葬られています。たくさんの無縁の仏様とともに、静かに眠っています。
 妻がその事実を知り、私たちが墓参するまでのことは、いつか書けるときがきたら、書けるかもしれません。義父の生き様や死に様についても、書けるときがきたら…。


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