2.中学・高校①

めでたく姉たちと同じ私立の中高一貫校に入学し、そこでの6年間は、中1で軽くハブられたことはあったものの、全体的にとても楽しかった。
今でも連絡を取るような友達も複数人いるし。

だからこそ、家に帰るのがとても嫌だった。
今日は何も起こらないかな?とビクビクしていたし、
お金がなくても家族みんながいつも笑っていられたらいいのに、と心から思っては泣いていた。

では今回も、思いつくままに出来事を羅列していこう。


中高時代は滅多に遊びに行けなかった。半年に一度、おそるおそる尋ねてOKをもらっていた。父が遊びに行くこと自体もお金を出すことも嫌がったので。中1のとき、はじめに仲良くなった友達に家に誘われた。向こうの親御さんは泊まりも提案してくれたがそんなことはとんでもないと父に反対され、遊びに行くこと自体も止められた。それは子どもが心配で…という純粋な気持ちからというより、得体のしれないよく知らない親なんかに預けられないというものだった。向こうの親御さんの善意を無下にする結果を自分で伝えなくてはならず、当然あちらは何で…?という反応だった。辛かった。父はクラス名簿を見て何でこんな意味のない名前をつけるんだ?と難癖つけたり、よその子、家庭を見下していた。今になって思うのは、娘が中学で友だちができてその子の家に遊びに行きたい・親公認でお泊まりもしたい…って、止める要素が一つもないということだ。それがきっかけで避けられたりということはなくその後も仲良くしたが、私の家は普通の家と違うんだという残念な気持ちと諦めがじょじょに心を蝕んでいった。


お風呂に一人で入れるようになったのは中学くらいからで、それでも入っている途中に無性に怖くて飛び出してしまった時があった。誰かと話して安心したかったが母がおらず、全裸を父に見られてしまい、それだけでも最悪なのだが、父はパニックの私の様子を気にも止めず、「毛が生えて大人になったねえ」とニヤニヤ笑っていた。心底嫌悪した。


父に部活動に必要なお金を出し渋られた。お金を持っていくのが遅いことが多く、先生に苦い顔をされて辛かった。お金がないからやめろと怒られたこともあった。小学校の頃一瞬ピアノを習った以外は習い事をしておらず、塾も行ってなかった私の唯一の習い事?のような部活まで、あっさり奪おうとするその思いやりのなさ。。


部活どころか、学校を辞めさせる宣言を学校に直接されたこともあった。経緯は覚えてないが結局ことなきを得た、が、先生たちはどれだけ動揺しただろうか。どんな顔をして登校すればいいのかと思った…。幸いいい先生たちで、いつも通り接してくれたけど、あのやばい家の子って思われてたんだろうな。


ある日突然学校に母が来て、「離婚することになったから」と告げられた時も感情がめちゃくちゃになった。いくら酷いことをされてきたと言っても、いざ離婚と言われれば心の整理は簡単につかない。ましてやさっきまで普通に授業を受けていたのだ。その後のことは記憶にない。ただ、そんな嫌な役目を母一人に押し付けた父は本当に…。しかも驚くことなかれ、現在に至るまで離婚はしていない。離婚したら本当に困るのは父なのだ。


中1でガラケーを父に逆パカされてから、高1まで携帯がなかった。まあそういう方針の家庭の子もいたのでそこまで困らなかったが、高1で与えられたのは旧式のガラケーだった。当時スマホが普及してきていたことに加え、周りは私立中高に通うような比較的裕福な家庭の子が多い。私は恥ずかしくてガラケーを人前で出せず、お金を貯めてipod touchを買い、スマホに見せかけていた。まあスマホなんて贅沢品かもしれないが、子供にとって周りの子の当たり前が自分にはないというのは相当惨めな気持ちを味わう。それを反骨精神に変えてお金持ちになろうと思えるタイプでもなかったので、ただただ恥ずかしかった。。


そうそう娘を私立中高に通わせるというのは父の方針(見栄?)。お金がないと散々喚きながらなのでありがた迷惑ですらあったが、まあ中高はとても楽しかったので無理をしてでも通わせてくれたことには感謝している。


私は声優になりたかった。現役声優のワークショップに行ったり、オーディションや養成所を調べていた。ある時オーディションの台本が父に見つかり、「食べていけないよ」と一言言われた。その瞬間、私は目指しちゃいけないんだ、と体の奥まで染み込んでしまったのだ。子供の夢と真剣に向き合ってくれる親だったら、、いや、もちろんここでその言葉を跳ね除けられなきゃ、声優なんて実際問題なれなかっただろう。しかし親に賛同されなければお金もなく(学校はバイト禁止)、親が全ての状況下でそこまで行動はできなかった。未練がほとんどなくなった今でさえ、高校の時からやってればなあ、ワークショップで選抜メンバーにも入ったのになあ、声を使って何かすると決まって褒められたのになあ、と考えてしまうくらい、後悔してるというか、忘れられない出来事である。


母が倒れたことがある。救急車で運ばれていった。のちに命に別状はないことがわかるのだが、その時の私はショッキングな出来事に激しく動揺していた。そこへ父がやってきた。経緯を思い出せないが、私は2階の部屋に一人でいて、そこに父が来た。多分下で二人が揉めていて(というかほとんどいつも一方的に・・だけど)私は2階にいたのかな?救急車に付き添った父の帰ってきた後の話かも知れない。まあとにかく父がやってきて、父も動揺していたのだろうが、「お母さんが死んだらお前のせいだからな」と言い放ったのだ。言いがかりもいいところだし、母がこの発言を知ったらそれこそ怒るだろう。無論何の責任も私にはないはずなのだが、そうわかっていても、そのことがはあまりにも重くのしかかり、私を発狂させた。その後部屋で一人声にならない声をあげ、苦しみもがいた。私のせい?!いつもいつもお母さんを苦しめ続けたのはお前だろ!!なんで責任転嫁できるんだ、と悔しくて苦しくて死にそうだった。記憶はそこで途切れていて、いつどうやって立ち直ったのかは覚えていない。ただ、ひたすらしんどかった。殺したかった。


②に続く

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