ことばの話
わたしの敬愛する方が以前、言葉を発するとき、いつもとても"苦しい"と言っていました。歌詞やブログ、対面した際の会話の中での素敵な文章や言葉で豊かな感情を伝えてくださる人なのでその文章を読んだとき、とても疑問を持ちました。その答えが最近少しわかった気がします。
昨今、文章でのやりとりが非常に増えました。会社には内線もありますが基本的には社内ラインやチャット等でのやりとりがほとんどです。
そもそも事務的な連絡等が全般を占めているので慣れ親しんだスタッフには了解👌のスタンプだけを押すこともしばしば。
普段ご飯を食べにいったり飲みに行ったりする友人達とのやりとりもほとんどがSNS。便利なものに思えますがたまに喉の奥に魚の骨が引っかかるような感覚がまれにあります。
緊急事態宣言が明けた今、また状況はお世辞にも快方とは言えず、自粛や出て行きづらいムードが社会全体に蔓延していて、また考え方も人それぞれです。
飲みに行こうと誘ってくれる人、遊びに行こうと言ってくれる友達、それぞれの限界を超えてのお誘いやどうかなぁと言った探りから始まるものもしばしば。
幸い自分の周りにはそれほどきつい言葉をロケットランチャーのように発してくる人はいませんが相手には悪気のない、ほんの些細な一言が喉元に突き刺さり、果てには化膿するような事態もたまにあります。
一人暮らしの人、実家暮らしの人、それぞれに悩みがあり葛藤があります。以前のように安易に外に出る事ができないストレスから気落ちしたりイライラしたりすることもしばしば。言うなれば落ち着けるはずの家の中ですら地雷がまあまあ埋まっています。踏んで仕舞えばそれはもう大爆発、倫理観など全くないしかも無意味な罵り合いがスタート。終わった頃には頭も身体もくたくたです。
些細な言い合いの中で悪気はなかったにしろ、私は自分の部屋をお化け屋敷、好きな本やCDやDVDをガラクタ、ゴミ、と言われました。宝物が詰まった部屋をそのように言われた事は不服で堪らなかったしその晩は涙が止まりませんでした。生きてきた意味すら、否定された気すらしました。それほど、私の好きは私を構築する宝物なのです。怒りに任せ、死んでも捨てん、捨てるなら私と部屋ごと殺して燃やせと鳴き散らかしました。その時、言葉が、何より怖くなりました。
基本的にすぐ忘れてしまうタイプなのですが面倒なことはまあまあ根に持つ最悪タイプの人間なので言われた事はなかなか忘れられません。だから、言葉が怖くなりました。
ここでやっと、彼が言っていた"苦しい"の意味がわかった気がしたのです。自分が苦しいのではなく、受け止めた相手が傷つく事が苦しいのです。きっとかれは受け手がそうならないよう、考えて考えて文字を並べていたのかも知れません。私なりの解釈ですが。
泣きながら彼が作った音楽を聴きながら歌詞を読みました。その中で、ああ、こいういう人が書いた詞だから、曲だから私は好きになったんだなあと心から思いました。
彼はよく、自分はそんなにできた人間じゃない。と言います、そんな事ないよ。あなたの紡ぎ出す言葉はなによりも優しくて美しいオブラートとリボンで包まれていて、それを開く時、私はいつも幸せに包まれるのです。
ペンはナイフよりも強し、(言葉も然り)という言葉があります。いくつもの解釈があります。照れくさくてとても直接伝えれる気がしないですが、出会った時から今までずっと、私にとってあなたの言葉はお薬だったしお布団みたいににあったかくて、安心できるライナスの毛布の様な存在だよ。と伝えたいです。そんな素敵な言葉をくれてありがとう、今日も存在してくれてありがとう、と心からここにこっそり書いておきます。
そんなこんなで情緒の制限が小難しい今ですが、今し方自分の発する言葉の強さや苦さを発する前に一度味見をしてから口に出した方が良いな、なんで思った真夜中でした。
御拝読ありがとうございました。
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