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不登校でも大丈夫

自分も昔、不登校だった。
中学1年の後半くらいから、殆ど通学していなかったので、中学校の授業も殆ど受けず、義務教育における学力は、小学校に少しプラスαがあるかなといったところ。

不登校であった時代に、父の難病が発覚し、子供ながらに経済的な不安も感じていたので、卒業後は働くことを決めていた。

学校というものに嫌気も指していたし、家族に求められたわけでなく、自分で働く選択ができたことと、たまたま雇ってもらえる先が見つかったことはよかったかなと思う。
今にして思えば、奔走して下さった教師の方にも感謝している。

父はALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気で、体を動かすのに必要な筋肉が徐々にやせていき、力が入らなくなる病気。そう遠くない内に呼吸もままならなくなり、呼吸器の装着や、あらゆることに介助が必要になることがわかっていた。同居していたころは多少の介護もしていたので、現代的に言えば、ヤングケアラーでもあったと思う。
父との折り合いが、あまり良くない中、自分の生活にも制約が出始めた頃は、正直色んな意味で辛かった。

40手前の今は、社会経験も積みつつ、常識や礼儀、ある程度の教養は身についてきたかなとは思っているけれど、社会人に成り立てのころは色んな方々に無礼なことをしていたなとも思う。

今の子供達も、不登校や、学校に馴染めないと感じて辛い思いをしていることはあると思う。
フリースクールや、家庭、学校以外の居場所として、サードプレイス(third place)と言われるものもある。

そういった居場所に頼ることは、悪いことではないし、自分の子供時代にもあれば良かったなとも思う。

だけど、親をはじめ、家族や、その他の身近な人に頼ったり、依存することには限度もあり、人間関係を壊すこともある。

働いて、生活費を稼ぎ、身の回りのことをこなし、自身で色んな場で人間関係を作りながら、自立しなければならない。

この事実からは逃れられないし、子供時代にあっても、自立に向けた準備はしていく必要がある。

自分は、中卒で、色々と未成熟のまま、社会に出て、何度も心が折れては立ち直りを繰り返して、今もそれは続いている。
世の中、だいたいそうやって、人生を歩んで行くものだと思う。

一時の不登校は、長い人生で見れば大したことはない。
それでも、不登校が続いていけば、将来、生活の糧を得る上でマイナスになることは多々ある。
自分も資格取得や、様々な経験を積むまではなかなか就職、仕事を頂くことができなかった。

心や身体を癒すことも大切ではあるし、設けられた居場所での関係は、いわば自分の足で歩いていくための予行演習。

人それぞれ状況が違うので、難しいことではあるけれど、
誰しも避けられない”自立”に目を向けていけるようなサポートがあり、具体的に何をすればよいのかを相談、実践をしていける地域であればよいなと思う。

何が言いたいかというと、タイトルにもある通り

不登校になったから、人生終わりなんてことはない。
学校に行けても、行けなくても生活していくために努力が必要なのは同じ。
生活するために必要なことは、社会生活に身を投じてからでも少しずつ身につけていけばいいし、“生きるために必要“と感じることは、自然と努力もできる。
学校という集団生活で身につくものもあるし、それを逃したことで、苦労することもある、周囲に迷惑をかけてしまうこともあるけど、人生一筋縄でいくわけがない。

だから、自分は、【不登校でも大丈夫】だと思っています。

自分も結婚し、二児の父となったことから、振り返りも含んで書き殴ってみました。
文章を書くことが得意なわけではないので、誤字脱字などお見苦しい点はあるかもしれませんが、ご容赦下さい。

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