自分ごとの振り返り
親ガチャという言葉は、自分が親となったこともあり、あまり良い表現ではないように思うのだけれど、自分の親、子供時代の環境を考えると悩ましい部分が多々ある。
母と祖母の関係が悪く、父が仲裁に入るわけでもないので、結果として、父母の関係も悪くなっていたように思う。
母も出身地が遠方で、自分の身内に頼ることも難しかったので、捌け口がなく辛かった部分もあるのだと思う。
父にしても、酒好きで夜遅くに帰宅することも多かったので、そういったことも家族内のストレスにはなっていた。
子供ながらにも、酒臭い父が寝付いたような時間に帰宅し絡まれるのは鬱陶しく感じていた。
直接、親から暴力を受けたりということはなかったが、関係の悪い両親に祖母という存在は、本来なら最も頼れるはずの身近な大人でありながら、子供時代の時点で嫌悪していた部分もある。
その後、自分が小学校高学年になるあたりには、父の手の震えなど明らかな体調の変化が出始め、病気のことなど知りもしなかったが、何か嫌な予感はしていた。
それが暫くしてから発覚するALS筋萎縮性側索硬化症。
小学校卒業あたりには、それまでの家庭の状況から、経済的に不安を感じ始めてもいたので、お金がなにかと掛かるそれまで続けていたサッカー部には入らないつもりでいた。
その理由を親には告げずに。
当時は部活が強制加入の時代なので何かしら選ばないといけなかった。
いざ中学へ入学すると、自分のことを小学校時代から知る先輩の強い誘いもあり結果、思うところはありながらサッカー部に入部。
当時は認めたくなかったが、同じポジションを争う先輩よりいじめをうけたことをきっかけに、徐々に学校を休むことが増え、不登校となる。
そうこうしている間に、母が家に帰らないことが増え、おぼろげな記憶ではあるけれど1週間、または、それ以上に帰らないこともあったように思う。
自分も学校に行けないことや、家庭環境のことで思い悩み、当たり散らすようなこともあったので仕方がなかったのかもしれない。
自分が社会人となってからは、それがより顕著となり、母が全く帰ってこなくなる。
幸い、働き口があったことで、実家に住みながらではありつつも16歳、17歳あたりには、ほぼ経済的に自立していたのと、職場の方がよくしてくださり、色々頂いたり、奢ってもらえたりもあったので、あまり寂しさや、貧しさは感じなかった。
子は親(家庭)を選べない、それに加え、義務教育を受ける年代の子供では、そこから逃れるすべもない。
無理やり家を出るという方法もあるかもしれないが、先立つものが全くないのではそれも叶わない。
自分も親となった今は、これまでの経験を反面教師として、家庭や子供に目を向けていきたい。