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STEAMはAが肝心

先日配信したSubstackの記事(https://bluebnose.substack.com/p/bluebnose-20241211)と最近耳にする動画をきっかけに、やや強引なSTEAMのお話。Artsが大事だという話を、長々としてみました。

先月、BMW JAPANのブランドムービー"LIFE LINE"が新たに公開されたそうで、Youtube広告等で見かけるようになりましたね。

流石に著名なブランドだけあって、気合の入った映像美と言ったところでしょうか。
特定の自動車メーカーやブランドに特別な思い入れがある訳ではなく、自動車そのものへの興味関心も薄い私は、耳だけで聞いていると「何の動画だったっけ」と思ってしまいました。

理由を探るために、動画内の字幕を書き起こしてみると

誰かが言う
未来は すでに描かれたシナリオの上にあると
あらゆる道は すでに決められていると

自ら道を切り拓く人もいる
運命を その手に委ねて

音声も字幕通りで、BMWのブランド名やスローガンも盛り込まれず、耳だけでは何のCMなのか、よく分からないでしょう。

追加で指摘するなら、前半の決定論や予定説めいた言い回しは良いとしても、後半の表現が弱く、CMとしてのキャッチや、ブランドムービーとしてのイメージ形成の役割を果たせているとは思いません。せめて、「私たちが道を切り拓く」といった主体性や力強さを匂わせてくれれば良かったのに、何も言い切らず、投げっぱなしで終わってしまって、誰にも伝わらない、どこにも届かない、イマイチな仕上がりとなっています。(視覚的にはBMWがいるのに、聴覚的にはBMWのブランドムービーなのに、肝心のBMWが不在という印象に)

こういう時に、ブランドネームや媒体の影響力に気圧されることなく、イマイチなものはイマイチだと指摘するには、自分の中の感性やリテラシーを高めなければなりません。感性やリテラシーを高めるには、STEAM教育の中の「A(rts)」が鍵になります。

日本国内ではAを抜いたSTEMを重視する風潮ですが、A(芸術)を欠いた教育では「画竜点睛を欠く」と私は考えています。たかがA(芸術)がなぜ睛(瞳)=目玉になるのか。偏見マシマシで語ってみましょう。


Answer(答え)は無数にあるArts

私の偏見を語る前に、まずは前提を整理しましょう。

STEAM教育とは、 Science(科学)、 Technology(技術)、 Engineering(工学)、Mathematics(数学)を統合的に学習する「STEM教育(ステムきょういく)」にArts(芸術)を加えたもの

上記Wikipediaより引用

Arts(芸術)を加えることで拡散思考が加わり創造的な発想が可能になる

上記Wikipediaより引用

STEMは平たく言えば理系科目であり、明確な一つの答えを導く思考になりがちです。その一方、芸術にはある程度のセオリーやテクニックはあるものの、「答え」が一つとは限りません。「誰が解くか」で答えは変わりますし、同じ人でも「いつ解くか」や「どの手法で解くか」でも答えは変わるでしょう。

表現を変え、視点を変えて新たな答えを創造したり、一つの回答が示されても「オレなら、こうする」や「私ならココまでできる」とお互いに刺激して張り合うのが、芸術(家)の醍醐味でしょう。

また、Artsは狭義では文字通り「芸術」ですが、「リベラルアーツ」つまり、文学や教養、STEM以外の幅広い学術も含める教育機関、専門家も少なくありません。現代国語の文章読解や漢字の書き取りならともかく、文系科目の大半も、答えは一つとは限りません。

人の数や作品の数だけ答えがあり、また問いが生まれるのがArtsと言えます。

AIには難しい、野性や本能の領域

人の数だけ答えがあるということは、動物としての野性や感性がArtsの源泉だと言えるでしょう。
思考や感情の発露がArtsであるなら、心が動く事象の根拠となる動物的な本能、脳内ホルモンの反応も影響します。生と死、生老病死に対する恐れや苦悩があり、野生の動物として、また社会的な生き物としての様々な欲求や執着、喜びや悔しさを感じる存在でなければ、真のArtsは困難です。

生成AIは進化を続け、写真やイラストだけでなく、音楽や映像まで生み出せるようになりましたが、AIには学習させにくい部分や、生命や肉体を持たないからこそ理解し難い部分がまだまだある現状では、Artsの本質的な部分で人間が活躍する余地は十分あると言えます。

裏を返せば、Arts以外のSTEMは効率化を突き詰めるほどに、いつかAIやアルゴリズムに上手を取られる可能性が高いでしょう。効率が重視される分野では、動物であり無駄や不完全さを抱える人間では、やがて太刀打ちできなくなる瞬間が訪れるはず。

つまり、更に言い換えればArtsには無駄や非効率、不完全さが詰まっているとも言えます。無駄や非効率、不完全さと共に、やりがいや困難、喜びも待っている。生きていく上での楽しみや潤いが欲しいなら、STEMだけでなくArtsにも手を伸ばすべきでしょう。

Artsは無駄だが、役に立つ

芸術やリベラルアーツ、教養や文化、文学をどれだけ学んでも、効率的とは言い難いし、無駄に思えるかもしれません。だからといって、母国語である現代国語を軽んじて、国際化に備えるためにと英語に注力してしまうとどうなるでしょう?

母国語も第二言語も「そこそこ」使えるようになっても、高度な論理的思考力や深い洞察力を得られない可能性が出てきます。母国語で「難しくて理解できない」古典や奇書に遭遇したり、「分からないことを分からないまま」考え続ける訓練を経てないと、高水準の思考力や批判力、読解力を養うことは難しいでしょう。

世の中には「どうやっても簡単にできない難しいことがある」と理解するために、また、「分からないことを分からないまま」受け取る力を養うためにも、難解なArtsに何度か触れておくことをオススメします。そうすると、「自分には難しすぎて、理解できないことが存在する」場合でもストレスを抱えずに済みますし、理解できないものが現れても、「そんなものあるはずない」と斜め上の否定や拒絶を示すことも避けられます。

「理解できない可能性」を認めた上で、相手や相手の考えを尊重することができ、本来の多文化共生にも繋がるでしょう。「分からないもの」に対する恐れを緩和できます。

また、算数や数学の文章問題など、理系科目であっても国語や読解力が必要になるとも、よく言われますよね。最近(とは言えほぼ100年前頃から)では、言語論的転回で精神分析と言語が結びついたり、記号論や代数学から情報学へ発展したり、いわゆる命題や論理といった分野からニューラルネットワークや機械学習などの「いわゆるAI」に繋がるなど、哲学や精神学といった文系の端と数学や物理学の端とが混ざり合い、学際領域で様々な発展が見込まれる状況となっています。

「機械学習」の基礎が「ノーベル物理学賞」に選ばれたのも、言葉や精神と物理が結びついたという証でしょう。(数学と同様に情報学の分野がないから物理学賞で選ばれたのかもしれませんが......)

このように、「無駄」と思われそうなArtsですが、実は最先端の分野にも影響を及ぼしています。
STEMとの関連が希薄に思えるArtsも、実は関連があるどころか、根幹を支えている可能性すらあります。つまり、「Artsは無駄だが、役に立つ」と言えるでしょう。

AbnormalはArtsから

個人の趣味として、Artsと向き合うことも多いでしょう。特定のArtsに没頭し、どっぷりハマって推し活に励んだり、自ら新境地を切り拓くというのも珍しくはありません。側から見れば「無駄」にしか思えなくても、そこには個人の喜びが詰まっている。それもまた、Artsです。

Artsは、公共の場では異常やアンモラルと批判されそうなものも内包しています。
犯罪を描いたミステリーやホラー、悪党が成長する過程を描いたピカレスク、不倫や不道徳をテーマにした作品も多々あります。裸婦像や裸婦画、タコやカッパをモチーフにした春画もArtsであり、ゴア描写が強烈なスプラッタ映画や、劣情を満たすためのイラストや映像も珍しくありません。

一定の法律や自主規制も存在しますが、表現の自由として、様々なテーマを扱えるのもArtsの特徴です。
いわゆるエログロといったアンモラルなジャンルや、青少年には有害となる恐れがあるコンテンツも存在しますし、誰かの精神や思想信条を揺さぶるようなタブーに触れるものもあります。世の中に出しにくいコンテンツは、人間には問題なくても、AIには学習させにくい状況が続くでしょう。

AIに学習させにくいということは、それだけ「常識人」も向き合わない領域でもあります。普通の人、常識人の枠組みを飛び出して、AIを上手く扱う人を目指すためにも、誰かが作った創作物や、体に悪そうな酒やタバコといった不健全なアーティファクトにも目を向け、自己責任で取り入れていくのが近道かもしれません。

STEMを活かすためにも、Artsで自分を高め、センスやリテラシーを磨きましょう。

AccelとAxis、AceのA

学び直しやリスキリングが求められる場面でも、STEAM教育は重要なキーワードです。その中でも、自分自身と向き合い、磨き上げることに繋がるArtsは、自分らしさを加速(Accel)させる原動力であり、指針となる羅針盤(compAss)や軸(Axis)ともなる「A」とも言えます。

いつの日か、AIがSTEMを完全に担うようになったとしても、主体的に何かを創り出したり、主導権を握って動くためにも、「常識的な自分」ではなく、在り方を明確にした特別な自分、Aceの自分を目指しましょう。

理系と文系が融合し、学際的な発展が進む今だからこそ、物事の始まりを象徴する「A(あ = 阿)」が大事。Aが欠けたSTEM教育は不完全で、肝心なものが欠けているんだと声を大にして喧伝したいですね。

今後も、独自目線の発想をお届けします

BBNでは、「A」、つまり自分自身や感性を重視した取り組み、また自らを高める取り組みを大切にしています。Artsを大切にする我々と共に、Webサイト制作やWebマーケティングに取り組んでみませんか?
また、BLUE B NOSEでは今後も、経験を通じて得たナレッジやノウハウ、独自視点でのお役立ち情報をお届けする予定です。サービスの詳細や事例はHP上でも発信中なので、もしよろしければ当アカウントのフォローや、HPのチェックもお願いします。


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