2-1.「親」とは、何なのだろうか。

前回の記事でも記載したが、
日本では、幸福追求権と自己決定権、個人の尊厳に重きをおくこと、それらは日本国憲法にて国民に認められている。
そして「親になる」ことは何人(なんぴと)に於いても認められていると解釈ができる。

「親」とは、何なのだろうか。

「親」という言葉を聞いて、親権者(子の養育に責任を持つ者)及び扶養義務を負う者と想像するのは難しくないだろう。
しかし、日本では親権や養育義務の前提として「血縁」が(100%ではないものの)重視される。さらに、その血縁の前提となる妊娠・出産についても、日本では限定的な考えが存在する。
子と密接に関わり養育環境を作り出すうえで、そんなにも血縁は重要視されるべき項目なのか、筆者は少し疑問に感じている。
血縁というものに縛られず、子にとっての最小単位の環境(いわゆる家族と称されやすいコミュニティ)を司り監護する者を「親」とするのが、人々の幸福追求の権利の行使の一つと言えるのではないだろうか。どんな形であっても、子も、その子を養育する人間も幸せな形を追求できてこそ、健全な親子関係であり、それを取り巻く社会ではないのだろうか。子の福祉において最上にならないだろうか。

というのも【血縁あってこその親子関係】という考え方が日本には色濃く存在しているように思う。
これに対する違和感が筆者にはあるのだ。

この違和感とともに、日本社会における親子関係を次の記事では整理したい。

お読みいただきありがとうございました。
今回の記事、あまりに内容が無くて申し訳ないです……
凡七

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