2-2.日本における「親子関係」_その3
前回までに引き続き、日本社会における親子関係を、「親」という立場にフォーカスしつつ記述していく。
今回の記事では、親子間に血縁関係を有さないパターンの親子関係を記述する。
そして「親」とはどういう存在なのかを筆者なりにまとめていく。
【特別養子縁組/普通養子縁組/里親】
日本には「子どものための」福祉制度として①特別養子縁組②普通養子縁組③里親(養育里親)という制度がそれぞれ存在する。
これら制度を利用することも、子にとっての最小単位の環境を司る「親」ないし保護者という立場になるケースだ。これらについても記述する(既知の方には冗長となり申し訳ない)。
①特別養子縁組
養子となる子と、その生殖上の親(便宜上、実親)の法的な親子関係を家庭裁判所を介して解消し、養親との法的な親子関係を(こちらも家庭裁判所を介して)結び直す養子縁組である。実親との法的な親子関係を解消するため、原則として実親の同意のもと行われる(虐待や悪意の遺棄が認められている場合は同意は不要となる)。日本の法律上の親権は養親が持つ。
②普通養子縁組
養子となる子と、その生殖上の親(便宜上、実親)の法的な親子関係は解消されない。そのため戸籍には実親の氏名も載ったうえで、養子であるということが記載される(つまり実親と養親どちらとも親子関係が存在する)。特別養子縁組のような細かい要件(年齢や日本の法律婚者であることなど)が不要。日本の法律上の親権は養親が持つ。
※同性婚が法律婚として認められていない日本において、パートナーとの親族関係を築くために使用されるケースも多い。
③里親(養育里親)
里親制度では、養親は法律上の子の親にはなれない。つまり戸籍上も親子ではない。日本の法律上の親権は生殖上の親(便宜上、実親)が持つ。里親に養育されるのは原則18歳までで、その後は自立することが求められる(原則的に離縁するということ)。養育の途中(18歳未満)で実親の元に戻るケースもある。子に密接に関わりながら護る者という立場だと思い並列させた。
制度を三つざっくりと記載したが、下記HPを参考にして違いをまとめると以下の通りだ。
①の特別養子縁組における養親は、25歳以上で日本の法律婚をしている夫婦でなくてはならない。子とは法的・戸籍上の唯一の親子関係となる。
②の普通養子縁組における養親は、成年であり、養子となる者の子でなく、養子となる者より年長でなくてはならない。実親と並列される形で、子と法的・戸籍上の親子関係となる。
③の養育里親は、子と法的・戸籍上の親子関係とはならず、公的な擁護制度として自治体から「委託」される立場にある。委託される立場となるため国からの補助金が出る。
【こども家庭庁HP】
https://www.cfa.go.jp/policies/shakaiteki-yougo/tokubetsu-youshi-engumi
【日本財団HP】
https://www.nippon-foundation.or.jp/journal/2020/41355
特に特別養子縁組の要件は厳しいという現実はある。
先述と重複するが、先進国の中で日本は、法律上での同性婚を認めていないため、特別養子縁組を組めるカップルが限定される。そして収入基準は設けていないとしながらも、収入や職業の安定性などを各審査時点で見られる場合がある(実子のいる家庭の平均世帯年収よりも、養親夫妻の平均年収が高いという調査結果から暗黙の収入基準があるのでは?と囁かれているようだ)。
https://tokubetsuyousiengumi.com/2020/10/12/yousinn-keizairyoku/
特に同性カップルで「親」となりたいと希望する場合は、前回までの記事に記載の代理出産や卵子・精子提供を受けるか、本記事の②や③を選択することとなり、事例も複数存在している。
さて、今回まで4つの記事で、日本社会における親子関係の形をいくつか記述してきた。
所謂”一般的”と称されるような親子関係となる【生殖上の親】以外の「親」が、大変多く存在していることを認識いただけたかと思う。
子が親(あるいは近親者)に似ているという事実が、子のアイデンティティーの健全な形成、および幸福度に影響を及ぼす、と生物学的主張が存在する。存在するが、それには勿論反論も存在している。子は自らのアイデンティティーを形成する上で、自分の有り様を映し出してくれる親しい他人を要しこれは重要であるが、そこに生物学上の繋がりは必要としないというものだ。
【親子の倫理観の論文】
子の福祉を最大限に考えたうえで、子を養育したいと願い行動する人々は、「親」であると堂々としていいはずなのだ。
【血縁あってこそ】ではなくて、【血縁あってもなくても】なのだ。
ここまで記載の通り、【血縁あってもなくても】「親」という存在には、日本では誰でもなりえる。
しかし、その中でも「親にならない」という選択をした人々がいる。
次回からはそちらについて述べていく予定である。
お読みいただきありがとうございました。
凡七