【3分読書メモ】世にも奇妙なニッポンのお笑い(チャド・マレーン)を読んで
■基本情報
書名:世にも奇妙なニッポンのお笑い
著者:チャド・マレーン
出版元:NHK出版
出版日:2017年12月
ジャンル:お笑い論
読書メーター:https://bookmeter.com/books/12586272
書籍内容(BOOKデータベースより)
笑いを求めて三千里。故郷オーストラリアから日本で芸人になるためにやってきた若者が飛びこんだのは、世にも稀なる芸道だった!不自由にも見える芸人の上下関係の秘密から、「ツッコミ」「どつき」「ひな壇トーク」などの特殊性、そして“笑い”を翻訳して海外に届けることの難しさまで。苦節20年、お笑い界の荒波を生き抜いてきた外国人漫才師が、日本のお笑いの本領と秘めたる可能性をしゃべり倒す!
■気になったポイント(引用文+コメント)
日本のお笑いのどこがおもしろいのか。海外と比べて何が違うのか。この本では、はるばるオーストラリアから日本へやってきた一人のガイジン芸人の視点から、日本のお笑いの特質を明らかにしたいと思っています。
<メモ>本書のメインテーマ(チャド・マレーンが論じたいこと)
では声に出して笑える日本のお笑いと、そうでない海外のお笑いとの違いはどこにあると思いますか? 僕はツッコミの存在が大きいと思っています(中略)ツッコミは常識人であると同時に観客の代弁者であり、笑いやすくしてくれる存在だということ。観客が内心「なんでやねん」と思っているところに、鋭いツッコミが入ると、観客は安心して笑うことができます。つまり、ツッコミは笑う合図でもあるのです。
<メモ>観客の代弁者(ボケ役に対する常識人)であるツッコミがズレてしまうと、観客の脳内に疑問が残り安心して笑うことができない。また、ツッコミが安直過ぎる場合も同様に笑えない。
お笑い映画を翻訳していると、ピンポイントで「ボケの部分をおもしろくしてほしい」と頼まれることがあります。でも、これはなかなかやっかいな注文です。翻訳していて痛感するのですが、お笑いってボケをいじってどうこうなるものではありません。重要なのは、いかにその前に自然なフリがあるか、なのです(中略)ウケないの分かれ目には、フリの上手、下手が九割九分影響していると言っても過言ではありません。
<メモ>計算されつくした前フリがあってこそボケが光る。もちろん、前フリがハマったからと言って100%観客が笑うとは限らないが、笑いを誘う上で前フリは必要不可欠であり、ゆえに前フリが雑だとボケは上手く機能しないのである。
あるあるネタは、見ている人の間にある程度共通した意識があってこそ成り立つもの。でも欧米の国々では人種や階層が多様で、共通意識を持つということ自体がそもそも難しい。だから、海外であるあるネタをやったとしても「いやこういうのもあるんじゃないか」「こういうのもあるだろう」となってしまって、「あるある」とはならないのです。一つのことをみんなが同じように理解できるから、ちょっとした細かいところで笑いがとれる。あるあるネタというジャンルが確立されていること自体が、その表れでしょう。日本のお笑いがこれだけ細分化され、発展してきた理由の一つとして、お客さんが共有している意識の幅が広く、その中でボケやすいこともあるのではないでしょうか。
<メモ>海外(アメリカ等)の笑いの文化:肯定=多様性を尊重するからこそ否定しない。日本の笑いの文化:否定=同質性からの逸脱に対して「何でやねん!」とツッコむ?
【こんな人におすすめ】
・芸歴20年を越えるお笑い芸人の持論に興味がある
・日本の”お笑い”が秘めるポテンシャルについて興味がある
・日本と海外における”笑いの違い”について考察したい