導かれるままに生きよう〜オモロー人生を拓く仲間のストーリー
超絶久しぶりに記事を書くことにしたのですが、モチベーションが高まったわけではありません。ふと「Noteやってみようかな」と呟いた仲間の一言にオモロいことによっていく黄色系の脳細胞がシンクロしただけなんです。
で、何書こうかなと画像探しますよね。CANVAで作ろうかなんてそんな体力・気力を使うほど時間内なんて時は、当然使い回し画像に頼るわけです。
出てきたのは、先日レポートを終えた札幌オモロー授業発表会のクラファン報告書に使った一枚。
こういうイベントは1回こっきりだから、この写真を取ろうと思ったら、絶対に同じ構成にはならないので、ある意味貴重なんです。
仲間のSNSなどにも投稿されているのですが、アタマカラダ元気会公式Noteにも残しておくのは大事なことなので、イベントから4ヶ月も経ってますけど、ああ、懐かしいなと思う仲間がいるかもしれないので、他では書いてない雑感を記しておこうと。
タイトルは「導かれるままに生きよう」と田坂広志先生の語りを想起するような言葉になりましたが、このイベントを企画する経緯は、まさにそれでありまして、
他律以外の何者でもないのです。
自分の意図しない中でこの渦に巻き込まれていったというのが正直な実感です。
その詳しい経緯はクラファンページ案内に綴ったので「カッツアイ!」(割愛)
このくだりは、LIFEというクスッと笑える番組のファンならわかるでしょう。
突如現れた青年の活動を知り、イベントに興味を抱きつつも、疑り深い性分の私は、自分の目で確かめようと3月の多忙な年度末、福岡へフライトしてしまったのでした。まあ、1年間頑張った自分へのご褒美旅行のつもりで気楽な感じで。そこでみた光景に脳のシナプスがオーバーヒートするくらいの衝撃をうけ、地元に戻って仲間に一緒にやろうと呼びかけてしまったわけです。
まあ、実際、オモロー実行委員長の坊ちゃんに出会った2日目のレッツドリンク!(飲み会)の席で、発起人の久本さんの都合を聞いて、日程は押さえてしまって、主催者となる保護者もその席に居合わせたことで、もう決定してしまっていた。
つまり、完全に巻き込まれたわけです。
よく言えば、「全ては導かれていた」ということで。
この札幌開催も、たまたま情報をキャッチして半信半疑で参加したある保護者が、
何これ珍百景でボタンを押すような感じで脳に火花が散り、
「今、こんなに面白い授業やってるの?これはもう先生を応援する側に回るしかない!」
と180度方向転換し、
「えっ!次、札幌でやるなら、私、主催やりたい!」
とイベントが終わるや否やDMで熱いメッセージを送ってくるという次の出逢いに繋がっていきます。その人こそが、倉さん(ゆきねえ)です。
そのつながりから、札幌開催の当日には、次の主催者候補が現れていました。
ゆきねえが召喚した人物は、(恵庭でやりたい!)と燃えたぎる野望を抱きながら会場後ろで受付をしていた熱い人、それが、佐藤さん(かんちゃん)です。
今は、ゆきねえとマイケルは、共に次のオモロー授業発表会を発掘する仲間となり、教育に熱い安平町へ視察ツアーに誘われ一緒に町長にご挨拶したり、3月22日に開催決定の恵庭オモロー開催準備にワクワクしながら側方支援をしているところです。
ここでも自分の意思では調整が効かない状態になっていて、
恵庭のリズム学園やコーヒー豆販売会社に出向いて登壇者を擁立するための営業に出向いていく流れに巻き込まれていきます。
別にやらなくても誰かがやってくれるのかもしれないのです。
でも、行動してしまうのはなぜか。
それは人に会うのが楽しいからです。
登壇して話すのも準備をしますし、参加者からの反応も嬉しい体験ですから、勉強になるのですけれども、
それ以上に、イベントを企画して、それが実現した時、
後ろで、しめしめうまくいったねと首謀者たちはニヤニヤして喜んでいる。
自分でやるより、キャストを立てて創り上げたほうがオモローだなと味をしめた人たちが主催者とかNPOの代表とかになって活動しているのは、まあ地域は違っても似た状況だと思います。
そういうちょっと変わった人が世の中を変えていくわけです。
つまり、ヘンタイ。 (注:褒め言葉で使ってます)
蛹が蝶になるように変態する、進化するという意味ですね。
3月オモロー授業発表会に参加した人たちの中から、
「私の地域でもやりたい!」
と思って行動する人が現れる予感がします。
そんな感覚でいると、ついcanvaを触り、恵庭オモローInstagram画像を作ってしまうわけです。ご覧になりましたらフォローしてくださると嬉しいです。
次回、申込準備が整いましたら、ご案内のNoteを書いてみようと思います。
皆さんにとって幸い多い一年となりますように。
では、また!
(1月14日マイケル生誕記念日にて)