Call Sign:ABYSSAL-EYES【5】
―*―*―*―
【注意】以降の展開には、暴力的な描写を含む場合があります。
―*―*―*―
「――少尉どのっ!」
霧の向こうに指を差し、濁った黒眼に瞋恚を宿らせて、鬼気迫る超然さで立つ少尉。
その迫力に圧されそうになりながらも、一等兵は思考を巡らせるよりなお早く、半ば体当たりするような恰好で少尉を突き倒した。
それよりも一拍遅れて、甲高く金属の擦れる音と共に、凶弾が火花を引いて空過する。
八発目の弾丸は、硬質金属製の窓枠を削って横転弾となり、傾いた扉にぶち当たった。
扉の中ほどに大穴が開き、ミシミシと音を立てながら半ばから屈曲して部屋の外へと倒れていく。
一拍、ほんの一拍の差で少尉と共に弾道から逃れた一等兵は、激情と安堵をない混ぜに、少尉に言葉を叩き付ける。
「な、何を考えておられるのですか、少尉どの! 自ら射線に入って、あのような!」
激昂の様相を見せるその姿には目もくれず、ただ窓の外に殺意に透徹した濁り切った眼を向けながら、少尉は低く唸るように答える。
「……宣戦布告、というやつだよ、新兵くん。このボクの……このボクの所有物に、不遜にも傷を付けた、愚かな害敵に対して、戦闘の意志を、宣下してやったのさ……」
不気味な静けさを伴って放たれた言葉に、一等兵は戦慄を覚えた。
少尉の両肩を掴み、窘めるように言葉を重ねる。
「少尉どの、落ち着いて下さい! 私は無事です、掠り傷です。少尉どのがご自身の身を危険に晒すようなことをする必要はありません!」
真っすぐに見詰める一等兵の目線に、少尉のねじくれた黒い視線が合わせられる。
無間の闇にも似た、全ての光を喰らい滅ぼすかのような眼には、沸々とした怒りの色が満ちている。
「……無事なものかい、こんなに血を流して……可哀そうに、“ボクの”新兵くん。これは傷痕が残るよ……」
言って、少尉は一等兵の顔を引き寄せると、当然の権利のように、血を流す傷口に舌を這わせた。
舌先が、傷口をざらりと擦る。
その痛みより何より、耳元でひっそりと囁く言葉が、一等兵の脳に刺さる。
「……目には死を、歯には死を、血には死を。ボクの所有物を傷付けた者に、一切の容赦はしない。確実な死を、届けてあげよう……」
「し、しかし少尉――」
痺れた脳を回転させて、一等兵がなおも反駁しようとする。
そこに、涼やかな声が割り込んだ。
「策が、おありですかな、“濁眼の魔女”どの?」
片目から滂沱と血を流し、苦痛に顔を顰めながらも、紳士然とした態度を崩しはしない。
「この、『戦場の霧』に閉ざされた状況をどのように打開し、どう反撃の手を打つのか。ぜひともご教示願いたい」
戦場の霧。
立ち込める物理的な濃霧ではなく、戦場に遍在する不確定要素を差す言葉に、少尉は口角を吊り上げ、血塗られた唇を三日月の形にする。
「……『戦場の霧』は、もはや晴れたも同然さ……参謀中佐も、ある程度気付いているだろうに……敵の目的と、手段、大まかな位置取りは、我々の掌中にある……であれば、あとは反撃の手を講じるのみ……そうだろう?」
「――仰る通りです。敵は、撃ち過ぎた。目的に拘泥するあまり、こちらに手掛かりを提示し過ぎている。しからば」
鷹揚に頷く参謀中佐は、青い目に決意の色を浮かべて、少尉に対して敬礼を執る。
「この場の指揮を、“濁眼の魔女”少尉にお願いしたい。我々が生き延びるには、貴女の策戦に従うべきです――よろしいですね、『海』の上級大佐どの」
突然水を向けられた、国防参事官亡き後の指揮権上の最上位者たる上級大佐は、床にへばりついたまま逡巡するように口をぱくつかせていた。
そこに、九発目の弾丸が襲う。
部屋の右側の壁が爆ぜ、再びコンクリート片が舞い飛ぶ。
破片の霰を浴びながら、上級大佐は蒼白な顔面をがくがくと上下に振って、言葉を絞り出した。
「か、構わない、構わないのだ! この場を生き延びれるなら、指揮権などいくらでもくれてやるのだ! わ、我輩は死ぬなら、艦と運命を共にすると決めているのだ! 陸の上でなど、死ねるものか!」
「……立派な心掛けだ、上級大佐どの……ボクも、ボクの目的を果たすためには、こんなくだらない場所でなど、死ねないからね……よろしい、ならばこの場の指揮は、上級大佐および参謀中佐より委任を受けた、このボクが執ることとしよう……」
作戦開始の宣言を口に出すが早いか、少尉は一等兵のダンプポーチからタブレットを引き抜くと、その画面に指を走らせる。
「それで、“濁眼の魔女”少尉。この状況を打破する魔法とは、どのようなものでしょうか」
張り詰め切った空気を緩めるように、参謀中佐が問いを向ける。
「……まずは、状況をおさらいしよう……一発目の弾丸、国防参事官閤下を死に至らしめた弾丸は、防弾窓を貫通し、机の端を掠めて扉に当たった……この時点で、弾丸が極端に俯角を付けて撃たれたものではないと分かる。大角度で撃ち下ろせば……まず間違いなく、弾丸は床に到達するからね……」
片手でタブレットを操りながら、窓のあった空間を指差す少尉。
次いで部屋の左側の壁に指を向けて、解説を続ける。
「……そして、四発目以降の弾丸のうち、壁に当たった弾丸は不全貫通になっている……ここから、大雑把な距離が測れるわけだが……そこの、上級分析官だったか、この部屋のスペックを出してくれたまえ……」
唐突に話を振られた上席分析官は、おっかなびっくりといった調子で、おさげ髪をいじりながら記憶から言葉を出力する。
「――え、あ、わ、ここ、この『一号会議室』は、外周部において標準化規格レベルⅣ、つつ、つまりは、二〇〇メートルの距離から、と、とと、投射された一四.五ミリ口径機関銃弾を無力化する、こ、構造と、なっております! き、均質圧延装甲に換算すれば、ご、五〇ミリ相当であります!」
「……よろしい、ではその防護構造を、このような形で破壊するには……どんな投射手段を用いれば良い……?」
更問に、上席分析官は視線をあちらこちらに向けながらも、回答を述べ連ねてゆく。
「ぐ、具体的な、かか、可能性としては、口径二〇ミリ以上の高速徹甲弾を用いる、き、機関砲、まま、または対物狙撃銃で、五〇〇メートルより近く……い、いえ、四〇〇メートル強の距離から射撃する必要が、あ、あ、あります。それ以遠では、窓部分であっても、貫通に、い、至りません!」
「……その通り、つまり水平距離四〇〇メートル内外で……この高層階とほぼ同じ高さ、それが敵の位置さ……上席分析官、君の端末を、貸してくれたまえ……『陸』の全地形立体図照合システムを借りたい……」
上席分析官は怖気付くように参謀中佐に目線をやる。
「上席分析官、“濁眼の魔女”少尉の指示に従ってください」
参謀中佐は素早く応じると、自らの識別カードを床に滑らせて、少尉へと渡す。
それに倣うように、上席分析官はおずおずと自らのラップトップ端末を差し出した。
「あ、あの、“魔女”さま――」
「……心配せずとも、正規のクリアランスコードで連接するさ……別に、セキュリティを剥がしてもいいんだが……今は、時間が惜しいからね」
少尉は自らのタブレットと、上席分析官の端末をケーブルで接続する。
参謀中佐の識別カードをラップトップ端末にかざし、地図システムを起動させる。
市街地を写した鮮明な三次元地図が画面に踊ると、少尉は素早くキーパッドを叩き、透視図モードへと切り替えた。
更に幾つかのコマンドが叩かれると、扇型を中途で切断したような図形が、地図上に赤く描かれる。
血に濡れた方の指先で画面上の図形を示しながら、少尉は説話のように事実を連ねる。
「敵はこの範囲にいるよ……地図上では、空地扱いになっているけどね……ここは建設現場だ。丁度、ここに来る途中に通ったね……」
言いながら、もう片方の手でタブレットを猛烈な勢いで叩く。
その画面上に映っているのは、『施設』の入り口を俯瞰した風景だった。
突然飛び立ったその装置に、護衛車列の要員が唖然として見上げているのが霧の粒越しに映っている。
攻撃型ドローン、その空撮風景を目にした参謀中佐は、頬を強張らせて少尉を牽制する。
「――“濁眼の魔女”少尉、まさかとは思いますが、市街地に爆弾を投下するおつもりですか」
「……まさかまさか、だよ。流石のボクでも、そんなことはしない……これはいわゆる“ニンジャ”ドローン。非炸裂性の、鋭利なブレード型の弾頭を展開する、そういうタイプのドローンさ……もちろん、ゼロ・コラテラルとは言い切れないがね。爆破するよりは、幾分ましだろう……?」
いなすように言って捨てて、二台の端末を同時に駆使する少尉。
タブレットの画面の中、ドローンは急激に高度を上げながら、霧の中を突き進んでゆく。
ラップトップ端末の画面には、ドローンの現在地を示す光点が一つ灯る。
その光点が、みるみるうちに赤い図形の位置に近づいてゆく。
ちかり、ちかりと光点が明滅する間に、ドローンが図形の範囲内に到達する。
少尉がタブレットに指を走らせ、ドローンからの伝送映像を画像赤外線に切り替える。
そうして数秒、少尉は画面を注視すると、不意に舌なめずりをした。
「……見いつけた……」
そう呟き、少尉はドローンに攻撃指令を飛ばす。
ドローンは“敵”の上空でブレード型弾頭を展開し、急降下を開始した。
重力にローターの加速を乗せて、必殺の凶刃が敵を穿たんとする。
まさにその瞬間、サーマルイメージャ越しの画面の中で、“敵”が上空を振り仰いだ。
「……なっ――」
少尉の口から、軋むような驚きの声が漏れる。
鉄骨の上、“敵”は大型銃を正確にドローンの方に向けると、引金に指を這わせた。
瞬息、ドローンからの映像伝送が途絶する。
攻撃の、失敗。
想定外の事態に、室内の人間に動揺と失意が伝搬する。
絶望的な状況を追認するように、部屋の空気が重みを増してゆく。
しかし、一等兵は、確かに見た。
映像伝送が途絶える寸刻前、霧に煙り、乱れた映像の中、“敵”が大型銃からその手を滑らせるのを。
「――今です! 部屋の外に出ます!」
今、この瞬間だけは、こちらに指向しての射撃は行えない。
瞬時にそう判断した一等兵は、愕然としたままの少尉を引き摺り、投げ飛ばすように室外へと押し出し、自らも室外に身を躍らせた。
すぐに続いて上級分析官を脇に抱えた参謀中佐が部屋を飛び出し、一歩遅れた上級大佐がつんのめるようにして、部屋の入口近くの廊下に倒れ込む。
「ひっ、ひいい!」
「上級大佐!」
一等兵が引き返し、上級大佐の脇の下に腕を入れ、無理やり引き摺るように射線から逃そうとする。
だが体格差もあってか、上手く移動させることが出来ない。
「くっ――!」
「い、いい! 我輩はいい! これ以上足を引っ張るわけにはいかないのだ!」
がなる上級大佐を、一等兵はそれでも何とか助けようとする。
そこに、廊下側から誰かが大声で叫んだ。
「――今だ!! 行けっ、行けぇっ!!」
掛け声と共に、三人がかりで大盾を抱えた警衛兵たちが、三グループに分かれてなだれ込んだ。
二つのグループが室内に突入し、もうひとグループが上級大佐の目前に盾を下ろす。
腕を包帯で縛った別の一人の警衛兵が、一等兵のもとへ駆け寄る。
「警衛兵! その大盾は一体……」
「知らん! 知らんが、“魔女様の贈り物”だ! 下に待機している、お前さんたちの車列、空荷だと思ってた装甲車に積んであった物だよ! クソ重いが、客用エレベーターで運べる重量だ!」
護送車列、ドローン、そして装甲大盾。
まさしく、二重三重の策を張り巡らせて襲撃に対応した当の本人は、廊下に大の字に寝そべったまま、生脚をばたつかせながら言葉を放る。
「……この『板切れ』は、単なるバックアップだったんだがね……エレガントさに欠ける、何とも締まらない幕切れだねぇ……それに、だ」
言いながら、がばりと身を起こし、袖の下からタブレット端末を示す。
「……記録された、最後の映像を見る限り……“敵”は弾切れを起こしていたようだね。ドローンを撃ったのが、最後の一発。いずれにせよ、一〇発目でカンバンだったわけだ……」
霧がかった可視光映像の中、確かに大型銃のチャージングレバーは、前進位置のまま止められている。
弾倉を交換するにせよ、次の弾丸を送ろうとした形跡が、無かった。
「それにしても、この“敵”は――」
ドローンを振り仰いだ一瞬の姿を見て、一等兵は驚きをもって受け止める。
明らかに小柄で華奢なシルエットに、長く乱れた白髪。
片目の眼帯を目の上にずらしたその顔立ちは、幼ない少女のそれだった。
驚きとともにこみ上げる困惑を飲み下して、一等兵は少尉に問う。
「少尉、“敵”の正体を、ご存知だったのですか? 余りにも……的確なご準備をされていたようですが」
「……知っていたわけじゃないさ。ただ、今回の会議の胡乱さからして……狙撃への、対策が必要だと思っただけさ……もちろん、大口径対物狙撃銃を用いる、その“敵”を想定したのは、確かだがね……軍内部では、有名な暗殺者さ……」
少尉はタブレットを操作して画面を切り替え、特秘情報を当然のように提示する。
「……白い長髪をした、小柄な少女の暗殺者。その髪色と……姿形は見えているのに、いつまで経っても捉え切れない特性から、付いたエネミーコードが“霧”、というわけさ」
「ちょっと待て、それなら今この時が、その厄介な“霧”を捕殺するチャンスじゃないのか? 座標をくれ、招集した警衛小隊をそっちに向かわせる!」
色めき立って会話に割り込んだ警衛兵に、少尉は不愉快そうに言葉を投げる。
「座標が欲しいなら、そこのラップトップを見るといいよ……恐らく無駄足だろうがね……」
座標を読み取った警衛兵が無線機に大声を張り上げるのを横目に、少尉は余した袖で裾を払いながら、ゆるゆると立ち上がる。
そうして一等兵の許に歩み寄ると、ぽんと一つその肩を叩いて言う。
「……帰るよ、新兵くん。長居は、無用さ……」
ちょっとした雑事を片付けた、といった態度に一等兵は閉口する。
それでも、踵を返して幽鬼のように歩み去る少尉に従うことにした。
一等兵がふと視線を感じて後ろを振り向くと、上級大佐、参謀中佐、そして上席分析官が立ち上がり、敬礼の姿勢で二人を見送っていた。
振り向くことなく闊歩する少尉に代わり、一等兵が答礼を返す。
三人としばらく見合った後、一等兵は小走りで少尉に追い付くと、その身の横にぴたりと付ける。
立ち去る二人を咎め立てることも無く、警衛兵たちが大盾を支えながら、室内に残っていた負傷者を運び出し、何事かを無線機に報告し続けている。
狂騒が終わりを告げて、室内にあるのは二つの惨殺体と、粉々に砕け散ったガラスとコンクリートの欠片たち。
ただ陰惨な破壊の痕跡だけが、そこには残った。
-了-
~はしがき~
こちらはプロ野球人生シミュレーションブラウザゲーム、BBL(Baseball Life)界隈を含む、通称BHO界隈で昨年、2023年12月上旬に行われた、その名も『性癖ドラフト』なる 狂気の宴 企画の副産物――の、続きとなります。
元々上記の単発SSで終わる予定だったのですが、2024年3月下旬に再び行われた 狂気の宴 『性癖ドラフト』での指名要素で組み上げたキャラクターについても別途SSを書くにあたって、23年12月開催分と世界観を共有するプランを思いついてしまったため、このような形で続編が形成されることになりました。
当初のSSが4千字強だったのに対して、【2】~【5】を合算すると約1万8千字と、話の間を繋ぐにしては長すぎる文量になったのは反省しきりですが、まあ筆が滑るとこうなるよね、ということでひとつ。
なお、24年3月開催分のキャラクターに関する詳細については、また別のSSという形でお届けできればと思います。
乱文乱筆にて失礼いたしました。ご高閲、誠にありがとうございました。
Missing/踪無影勿
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?