見方を変える「わかりやすい例」
見方をかえれば・・・
困難や苦境に及んだ時に周りから言われた方もあるのではないでしょうか
ちょうど
分かりやすいことがありましたので
ご紹介します
苗字がきっかけ
「がまん」様という苗字があります
口で(ボイスで)、がまんと言われれば
多くの方が人生経験から自然にイメージするのは
「〇〇を我慢する」ではないでしょうか
その苗字は違います
「我満」です
読みは同じでも字が違う
口で(ボイスで)言われればどちらも同じです
ひらがなもおなじです
「がまん」
と
「がまん」
です
ところが、漢字で書けば違います
「我慢」と「我満」
我慢は、物事や出来事を納得していなくても受け入れようとする行動や態度
と私は思うのですが
我満は、「自分を満たす」という意味に、私は受け取れます
どうとらえるか次第
このように、おなじ「がまん」でも
●口(ボイス)で受け止めるか
●ひらがなで受け止めるか
●漢字で受け止めるか
によって
受け取り方はその人の自由なのです
物事の見方を変えてみる とは
こんな軽い考え方ではないでしょうか?
●見方に教科書はありません
●見方は強制、矯正されるものではありません
●見方を時と場合で周りに合わせるかどうか判断しているのは自分自身です
●見方をいつの間にか決めているのも結局自分です
物事に表と裏、少なくても2面があるなら
自分の見方を1面だけでなく、
2面にしようとしてみることは自分の意志でできるはずです
2面を自分なりに気付いたとき、
●今まで嫌だったことの違う面
●今まで好きだったことの違う面
に対して、明日から自分はどうしていこうか、
という意思につながるのではないでしょうか
その自分の意志に、正解も間違いもありません
意志があるだけです
相手によっては、その自分の意志を
・正そうとする
・直そうとする
・間違いとする
・共感する
場面に、皆平等に遭遇するだけです
見方=考え方、とらえ方とも言えます
対立しても安心してください
「どちらが悪い、間違っている」ではなく
「私は今、その見方です」を
お互いに表明しているだけです
意志はその時の自分の率直な気持ちです
その率直な気持ちで生きれば
その後の出来事を通して
・これでいい
・間違っていた
・他に見方はないか
それぞれに感じながらまた次へ進むだけです
一緒の責任あることをする場合は
見方について話し合いながら
時と場面で統一する必要もあるでしょうが
不毛に、
お互いがお互いの見方の違いを押し付けあわないのが
これから求められる「相互理解」のヒントではないでしょうか