【NOTEさんに感謝】私がマイペースで投稿できる背景
NOTEを始めて、今、感じていることがある
(前提)
・私は50代男性. 10~20代は携帯電話もスマホもない.
・家族に聞かれたくない事は、公衆電話か手紙.
・SNSがないだけ、直接人とやりとりした際の感覚で社会や人生を学ぶ
・仕事の経験談などを、ホームページ以外で発信していたブログがあったが
「なぜか落ち着かなく閉鎖」し、どうでもいいと思っていたら
「感覚的に」落ち着いて書こうかな?と感じさせるのがNOTEだった
●ホームページやブログを使い始めのとき
・主に仕事で使った
・新聞広告など使わずに不特定多数に発信し、興味を持つ人から
問い合わせが来ることがありがたかった
・使いこなすとういうより、情報発信に懸命だった
・こちらが知らなくても見てくれている人が少なくないことを実感した
・いろいろ利用したがなぜか落ち着かなかった?なぜでしょう?
いまの感覚
●発信するというより、記録 兼 さりげない幸せ を感じられるツール
動画や写真や音声で発信する抵抗がどうしてもあり、
文字発信のほうが自分の気持ちをマイペースで発信しやすい
年齢的に、SNSを使いこなしてまでの発信を望んでいない
文字には好きなときにマイペースで読める、読み返す、
読みとどまって戻る、ひたれる、など、
文章の「表現や間」からそれぞれが感じとれる感受性と
自由度があるのではないかと思っている.
●使い分けが必要
動画は運転中でも、耳で脳で聞きながら知ることが出来る.
聞いてメモしたいことは、書き起こさなければならない.
それを出来るツールがあるのかもしれないし、録音機など
活用したが、面倒だ~~~~
しっくりくるツールは世代ごとにあっていいと思うし
あまり便利になると使いこなせない、使いこなすより
ちょっと不便でも使いやすいものとか多様性があっていい.
書く雰囲気を感じるNOTEさんは個人のことや仕事のことも
気持ちを書きやすい.
●文字で書く、人との気持ちの伝え合いや喜びを知っている年代
若い頃、初めてお付き合いした彼女に手紙を書いた記憶が忘れられない
気持ちをどう書いていいか分からないながらも自分なりに書き、
帰ってきた手紙のやりとりを通して、一緒にいる時では
伝えられない恥ずかしい気持ちだったり、相手の気持ちを
確かめることができる、心豊かな経験を得た.
手紙ならではの奥ゆかしい年代.
●なぜか落ち着く
12~13年間から、仕事上で複数のブログに自分の気持ちを書いてきたが
落ち着いたのがNOTEだった.
SNSではどこでも出来るのだろうが、年齢的にどうしても他の勢いに
合わせなければ恥ずかしい気持ちがどこかに抱く
かしこまってしまうのだ
気持ちを上げなくても また 他投稿者に合わせて投稿しようという
気持ちにならずに投稿しやすい、
もっと言えば
手書きの文字や画像も載せやすいと感じる家庭感や身内感、安心感が
なぜかNOTEに感じてしまうのだ