MONO NO AWARE というバンド

最近MONO NO AWAREにがっつりハマってる。

存在自体はファーストの「人生、山折り谷折り」が発売されたときから知ってはいて、よく聴いてもいたが、最近になって久々に鬼リピしてしまっている。

きっかけ的には、ぐだぐだとユーチューブを見ていたときに「DRIP TOKYO」に出演した動画を発掘してしまった。
その1曲目が「機関銃を撃たせないで」
見事にやられてしまった。

曲自体はよく知っていた。が、しかし改めて聴いてみると初めて気付くことが意外とあるもんだ。

ちょうど就活中だったこともあり、逃避的な空間は音楽ぐらいしかなかったんですよね。しかもいつにも増して歌詞に敏感な時期だった。

最近この学校中で
まことしやかに流れてる
噂が気になっている
でもどうやら聞いたら
A組と話せば話すほど
B組と話が食い違っている
待てよ、
ぐるぐるぐるぐる
ぐるぐる考える
調べてみると日本中で
ここぞとばかり言われてる
あいつの凡ミスは
こっちの新聞を読んでる人と
あっちのワイドショーを観ている人じゃ
論点が二転三転していく
待てよ、
みるみる近づく砲音
ギリギリかわしてくしかない

以上歌詞冒頭の引用である。

風刺の中にユーモアがある。生活感と社会性の2つをうまい比喩で例えてる感じがしてグッとした。就活をしてたとき、「生活の中で生きる仕事」「社会に貢献できる仕事」なんて臭いセリフを並べてた私は、まさに機関銃で撃たれたような感覚に襲われた。

学校の中の問題だろうと、社会的な問題だろうと双方の正義がある。そこを理解し合えなければ、まさに「機関銃を撃ってしまう」ケースが起こってしまうかもしれない。

印象的なギターリフも機関銃を乱射しているようなイメージを連想させる。
もちろん比喩表現ではあるが、リアルな事象としてのダブルミーニングとして被せているのがなおさら感心してしまった。

カップヌードゥルドゥー
私たちの人生はお湯を入れたら最後
時間に追われる運命さ

ファーストの「マンマミーヤ!」でもこのような歌詞が登場する。

人生をカップ麺に例える。うーむとなってしまう。

MONO NO AWAREの歌詞は基本的にイメージしやすい例えをふんだんに使い、ユーモア溢れる作品が多い。音楽性もトリッキーでエイジアンという個性が強いと感じる。でもその中にどこか悲しさ、とげとげしさがある。

だからこそ刺さってくる。ポップミュージックは常にストーリーを提示しなければならない。それを聴いたリスナーが何らかのアクションを起こしたり、ストーリーを共有していろいろな壁を超えてユニットしていく。

そんな現代における音楽を彼らは鳴らし続けている。

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