2019年4月29日の話

2019年4月29日、私は愛知県岡崎市で行われた岡崎将棋祭りに足を運んでいた。
岡崎市出身の石田和雄九段が発起人となり、岡崎城がある岡崎公園で長年開催されているイベントで、メインは二の丸跡に建てられた屋外能楽堂で行われるプロ棋士・女流棋士のトークショーや公開対局だ。毎年勢いのある若手棋士が呼ばれるのだが、それに負けず劣らず石田九段のチャーミングな姿も魅力の1つだ。この年は石田九段を始めとして豊島二冠、高見叡王、斎藤王座、杉本八段、佐々木勇七段、中田章七段、勝又六段、瀬川六段、室田女流二段、室谷女流二段、脇田女流1級(段位は当時)という錚々たるメンバーが参加していた。
その中のトークショーでのことである。具体的な質問内容は失念してしまったのだが、おそらく「藤井聡七段(当時)についてどう思うか」といったような内容だったと思う。これまでも藤井聡七段については多くの棋士が様々な媒体で印象を述べているが、このときの豊島二冠の答えは強く心に残った。

「自分は長く活躍しようと思うタイプではなかったが、5年後、10年後に彼が一番強くなってる時にそこに立っていたい。戦ってみたい。長期的な目標が立てられるようになって、ありがたい存在」

「長く活躍しようと思っていなかった」という点については最近のインタビューを読んで腑に落ちるところがあった。20代半ばからの自身を追い込むような将棋への向き合い方を選んだのは、体力的にも最も充実しているであろう年頃に、全身全霊をかけよう思っていたからだったのだろうか、と。
「自分が体力的に一番充実しているときに棋士として最大限のパフォーマンスを発揮しよう」という理性を「この人と戦いたい」という本能で上回らせたのが藤井聡七段という存在で、純粋で尊いな、と思った。将棋の強い人ほど将棋の強い人のことが好きなんだろうとはよく思う。

というのを竜王戦第4局直後の豊島前竜王の竜王のインタビューを聞いて思い出した。

竜王戦もそうですが、(いずれも藤井戦だった、お~いお茶杯)王位戦や叡王戦もあわせて実力不足を痛感したので、実力をつけていかないといけないと思います。
――終局直後:竜王戦中継plus

藤井聡新竜王はまだ19才であり、これだけ強くてもまだ羽を広げた段階であろうと思うと震える。シンプルながらもそこについていくためには、再びタイトル戦で戦うためには、という強い意志を感じたコメントだ。豊島将之さんのオタクでよかった。

とはいえ、そんなきれいなものだけではないだろう。3つのタイトル戦で敗れ続け、自身の持っていた2つのタイトルを剝ぎ落された心境は想像だにできない。
2018年の朝日杯将棋オープン戦で藤井聡五段が優勝した際に、谷川浩司九段は「20代・30代の棋士に対しては『君たち、悔しくないのか』と言いたい気持ちもあります」というコメントを出した。今ならこの言葉の重みが良く分かる。55歳(当時)の谷川九段の中には「羽生善治」という不世出の天才との激闘の記憶が20年以上経っても残っているのだと思った(谷川九段も史上二人目の中学生棋士で20歳名人となった紛れもない大天才であり、それゆえの誇り高さからのコメントだと思うが)
――「屈辱以外の何ものでもない」「君たち、悔しくないのか」……羽生・藤井に向けられた棋士たちの闘志 

もしかしたらこちらが思っている1000000倍はつらいことかもしれないし、あるいは意外とすぐに切り替えられるものかもしれない。以前のインタビュー記事では「もう負けると自然に「勉強しないと」となりますから。「負けて悔しい」とかじゃなくて、自然に将棋をやっているので」と答えていた。
【豊島将之名人】「負けて悔しい」ではなく、自然に将棋をやっている

人の気持ちというのは他人には分かるわけがなく、こういうnoteを書くのも無粋だとは感じている。ただ語って欲しい訳ではなく、全ては豊島九段がこれからの将棋で見せてくれると思うので、これからも陰ながら応援していきたい。


今年の竜王戦は応援している棋士が失冠してつらい、と同時にまた1つ何かすごいものを見たな、という気持ちがせめぎ合っている。
特に決着局となった第4局で両対局者が二日間かけて作り上げた将棋は、さながらウィンチェスターのミステリーハウスのように最終盤に姿を現した。
棋譜:http://live.shogi.or.jp/ryuou/kifu/34/ryuou202111120101.html
104手目に藤井三冠が自玉への反撃を恐れずに△8七飛成と踏みこんでからの約2時間半は将棋の面白さ、奥深さ、怖さ、残酷さ、そして人間の勝負とはどういうことであるかが全て詰まっていた。

私は主に対局を見ているだけのファンなので、タイトル戦の将棋に限らずプロの将棋は到底分かるような領域ではない。解説の棋士の存在があってようやく「なるほどわかった!(わかったとは言っていない)」となる。(本当に、こんなnoteを書いていいレベルの人間ではないのだが…)

数年前から将棋の動画中継には将棋ソフトの評価値が表示されるようになり、最近ではモバイル中継アプリにも導入された。棋力0どころか駒の動かし方が分からなくてもどちらの形勢がいいのか分かるようになったが、一方でこの数字はソフトが評価関数を元に膨大な量の計算の結果導いたものであり、人間の心理は反映されていない。例えば同じ評価値70%でも「人間が勝ちやすい70%」と「人間が勝ちにくい70%」がある。評価値というのは「現局面からn手先までソフトが導き出した通りに指せば7:3で形勢が良い」という話で、読み筋を見ると人が気付きにくい、または人の理解を超えた手が紛れていることがある。もしかしたらまだ読んでいないn+1手先には、相手にものすごい返し技があるかもしれない。それをソフトは教えてはくれないので、私は形勢判断は最終的には棋士の見解を頼りにしている。

ではこの竜王戦第4局はどうだったかというと、ずっと苦しい中で最終盤に豊島竜王に差し込んだ光は、結果的に「人間が勝ちにくい65%」だったと思う。豊島竜王が99分考えている中でAbemaの解説で検討されていた手順は恐ろしいものの数々であり、最終盤であれだけ詰むや詰まざるやの変化が検討される将棋はタイトル戦といえどなかなか見られない。
局後にツイートされた山本博四段の詰み筋解説や渡辺明名人と佐藤天九段のやり取りからもいかに難解であったか、そして対局者心理がどのようなものであるかが伺える。
・https://twitter.com/watanabe_1984/status/1459511120176156682

時間を残していた豊島竜王は投了するまでに10分かけた。時間を残して負けるのは悔いが残るだろうなあと思った。

こうしてスコアとしては4-0で終わり、数字の上では藤井聡新竜王のすごさが際立つ形になった。内容ももちろん凄みを感じるものだったが、注目度の高さゆえにこの戦いが「藤井聡太すごい大喜利」として消費されているのはいささか悲しいというかもったいないというか。
よくワイドショーなどで藤井四冠の将棋が取り上げられても「メシの話しかしない!」などとお怒りの意見を見かけるが、限られた時間の中で何が起こったかを伝えるのは非常に難しい。
Abemaの将棋中継は放送終了後もアーカイブがしばらく見られるし、終局後には初手から棋士が解説してくれている。またビデオとしてポイントポイントを切り抜いでアップロードもしている。
もしも将棋の世界に少しでも興味を持った人がいるなら是非ともAbemaの将棋カテゴリのビデオをいろいろ見てもらいたい。
将棋観戦はスポーツ観戦やゲーム実況を見るのが好きな人にはおすすめです。


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