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韓国 雑談ねた 日帝時代の「朝鮮一の土地長者」反民族親日派ミン・ヨンフィの財産没収運動開始 2024.11.9
今日は、久々に川沿いを歩いてみました。まだ、草が元気に生えていて、川が見えない場所が多いのですが、多くの人が川沿いで、思い思いに過ごしていました。ご安全に。
やはり李承晩は正しかった【コラム】 韓江氏のノーベル文学賞受賞
小説家の韓江(ハン・ガン)氏がノーベル文学賞受賞者に選ばれた日の夕方、編集局は息つく暇がないほど緊迫していた。受賞者の発表は午後8時、市内版の締め切りまで残り時間はわずか3時間だった。お尻に付いた火がまるで全身に燃え広がるかのように、寿命が短縮されるような思いだったが、韓国初のノーベル文学賞受賞という驚くべき事件を翌日の新聞4面にしっかりと刻み込むことができた。これも機敏で優秀な同僚記者たちのおかげだ。
韓国語で考えて韓国語で書く文芸家が初めてノーベル賞を受賞したという事実は、韓国の歴史に永久に記録される大事件だ。受賞者個人にとっても光栄だが、共に韓国語を使用している者として喜び祝って当然だ。韓江氏のノーベル文学賞受賞には、長年にわたって文芸家の先人たちが築き上げてきた韓国文学の枢軸が土台を成している。韓江氏も受賞者の発表直後、ノーベル委員会の電話インタビューで「私は韓国語で本を読み、韓国文学と共に育った」と回答している。
日本の植民地からの解放後、韓国語文学の枢軸は朝鮮半島の南側だけで育まれてきた。韓国の文芸家たちがはるかに優れていたからではない。当初はむしろ反対だったのだ。エリートの文芸家のほとんどは北朝鮮に渡った。ホン・ミョンヒ、イ・テジュン、イム・ファ、オ・ジャンファン、ハン・ソルヤ、イ・ヨンアク、パク・テウォン、イ・ウォンジョなど、解放以前から有名だった文芸家はほぼ北朝鮮を選択した。北朝鮮から文学が姿を消したのは、世襲独裁を貫く全体主義体制のためだ。韓国で文学が花を咲かせたのは、自分の思い通りに思索できる自由民主主義社会のおかげだ。
韓国で文学が花を咲かせたのは、自由民主主義社会のおかげだと。そもそも、その韓国というか朝鮮半島に、学校を建設したのは、日本なんだが・・・
つまり、そこの部分、基礎的な部分がないと文学なんて出来るわけがないのだが、まあ、そこはいつも無かったことにされる。
ハングルも、日本人が広めた。これも、韓国ではタブーだ。ハングルなんて、李氏朝鮮時代も一貫して、使われていないし、李氏朝鮮時代には、両班だけが教育を受けて文字が読めた。1392年から1897年にかけて朝鮮を支配した時代は、一貫してハングルなんて使ってないし、教育もしていない。
独立闘争時期から政府樹立に至るまで、一貫して共産主義に反対し、自由民主主義による大韓民国の建国に向けひたすら努力した有力な政治家は、故・李承晩(イ・スンマン、1875-1965)が唯一だったと言っても過言でない。大韓民国が産業化と民主化を経て巨大な大木に育つまでは、雷に打たれ、枝も切られ、多くの傷によって節も生じたが、李承晩が未来を見通す千里眼と勇気で自由民主主義の根を深く植え付けたため、今日の驚くべき成功がある。東欧から朝鮮半島北部まで拡散した共産化を防ぎ、侵略戦争から国を守り、選挙を通じて権力者を変える国の礎を築くことができたため、今日のノーベル文学賞受賞もあり得たのだ。
韓江氏は小説よりも詩から文学の世界に足を踏み入れた。詩集『引き出しに夕食をしまっておいた』には、人生の苦痛と死に対するイメージが色濃く描かれている。韓江氏は塀の下の白い石を見て言う。「いいな、あなたには命がなくて」(「静かな日々」)、また「私は死んでいたのに/死んで春の日の小川を歩いていたのに/ああ、死んで良かったのに」(「青い石」)とつづった。作家の認識が気に入らない方もいるだろう。しかし、川辺の石を見て、千年の歳月に耐える無限の生命力だけを歌わなければならないとすれば、すでに文学は成立しない。受賞後に起こったいかなる論議も、今の大韓民国であるからこそ可能なことなのだ。
来年は日本による植民地支配から解放されて80年を迎える。また、李承晩生誕150年、逝去60年の年でもある。来年以降、韓国語で思索する人の中でノーベル科学賞受賞者が初めて誕生するならば、その人も朝鮮半島の北側でなく、南側の人であることには変わりない。頑固なまでに自由民主主義の国に固執し、大韓民国を守り育ててきた李承晩はやはり正しかったのだ。
李承晩が正しかったというのは、徹底した反共産主義で、そのお陰で、自由民主主義が継続され、ノーベル賞まで受賞できた・・・というストーリーだ。
この記事を書いた人は、頭のネジが2,3本外れているのか?頭を付け替えたほうがいい。李承晩なんて、不正選挙はするわ、弾圧はするし、権力にしがみついた人物で、結局、韓国から逃げて、アメリカに亡命している。
そういう人物が正しかった、そして、そのお陰で、ノーベル賞がとれた・・・酷いものだ。
自由民主主義ですか・・・その後も軍事政権時代があったり、自由民主主義の政治が続いた・・・なんて信じる人はいるのだろうか???
日帝時代の「朝鮮一の土地長者」反民族親日派ミン・ヨンフィの財産没収運動開始
忠北市民社会団体連帯会議などが開始したミン・ヨンフィらの親日派財産没収・国家帰属運動=忠北市民社会団体連帯会議提供//ハンギョレ新聞社
朝鮮一の土地長者と呼ばれた親日(日本帝国に加担、協力)・反民族行為者ミン・ヨンフィの一家などの財産を没収して国に帰属させる市民運動が、忠清北道ではじまった。
忠北市民社会団体連帯会議、丹斎申采浩(タンジェ・シン・チェホ)先生記念事業会、民主労総忠清北道本部、忠北人ニュースなどは、「親日派ミン・ヨンフィ、チェ・ヨングクらの財産没収・国家帰属運動」を行うことを5日に明らかにした。彼らは今月18日までミン・ヨンフィ、チェ・ヨングクら親日派の財産の国家帰属を目指す市民署名を集め、政府に財産没収を求める予定だ。それに向けて、今月20日午前10時40分に国会で「親日財産調査委員会の設置・運営」などを盛り込んだ「親日財産国家帰属法」の改正も要求する計画だ。
彼らが要求する親日財産はミン・ヨンフィ、チェ・ヨングクらが子孫に譲った土地で、公示地価で40億ウォン(約4億4000万円)を超える。
ミン・ヨンフィは明成(ミョンソン)皇后の外戚で、日本から子爵の爵位を与えられた、親日派を代表する人物。中枢院参議という官職を務めた彼は朝鮮一の土地長者で、子孫に莫大な不動産を継がせた。今回没収が目指されている財産は、清州市山城洞(チョンジュシ・サンソンドン)の上党山城(サンダンサンソン)に位置する1万8338平方メートルの土地と、ミン・ヨンフィの墓のある江原道春川市東面(チュンチョンシ・トンミョン)の19万6403平方メートルの山地。
チェ・ヨングクも中枢院参議を務めた親日派で、慶尚南道泗川市昆明面(サチョンシ・コンミョンミョン)の3954平方メートルの土地を子孫が継いでいる。この地は端宗(タンジョン)の胎室(胎盤やへその緒を収めた場所)があった場所で、歴史的価値が高い。彼らの親日財産を追跡した忠北人ニュースのキム・ナムギュン編集局長は、「親日財産の没収は親日清算だが、李明博(イ・ミョンバク)政権以降は親日財産の発掘や没収がまったくなされていない。市民の名において親日財産を没収して歴史を正すべきだ」と述べた。
その自由民主主義な国では、個人の財産も没収することができるらしい。まあ、確かに、自由かもね。何でも、可能という意味では。
日本統治時代に、役職に就いていて、財産をもっていれば、没収の対象になるということだろう。
その人達に、どういう罪があったのいうのだろうか?罪状は?具体的に、何の罪?
結局、財産を持っていて、その人が親日派だからという理由でしかないだろう。法事国家において、重要視される個人の財産の保護なんて、この国では存在しないということだ。
しかも、戦争終わって、もう何年経過しましたか???その前に、個人の権利や財産などを収奪していた李氏朝鮮時代の権力者たちの財産は、没収されないのですか?
不思議な国だ。
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