今日は、台風が関東に近づいています。ご安全に。
【コラム】韓国検察改革の反面教師、日本検察
何が言いたいのか、わからない記事だ。日本批判が目的なので、日本が反面教師で遅れていると言いたいだけだろう。
結局、これが言いたい部分だろう。日本の検察は、直接の捜査もしない。仕事をしないということだ。
しかし、そもそも、検察が直接捜査をするなら、警察はいらない。警察が捜査をして、被疑者と書類を検察に送って、検察が公平な立場から起訴する事件かを判断する。
起訴が確定したら、裁判となり、裁判所で、裁判官、検察、弁護士の3者で、争うことになる。
検察がなんでもかんでも直接捜査するなら、警察は必要ないし、検察が裁判にも立ち会うのだから、被疑者をなんとしてでも有罪にしようとするだろう。
日本での刑事裁判の有罪率は、99%だ。刑事裁判で起訴されれば、ほぼ確実に有罪になる。検察が直接動けば、確実に有罪になるだろう。そうなれば、裁判の意味はなくなる。
検察が捜査して、裁判するなら、警察関係者も、捜査対象になる可能性すらある。そうなると、警察が検事が事件を起こしても、逮捕しにくい状況になる。
あくまでも捜査は、警察。検事は、中立的な立場で判断する。それが、ないと、ごちゃごちゃになる。どちらも、外から監視する立場の組織がないと、腐敗する。
日本の検察、警察が、全く腐敗していないか?と言えば、そんなことはない。ただ、検察があまりにも力を持ちすぎるのは危険だ。検察の思惑だけで、捜査も起訴も、出来て裁判まで検察は出るのだから。
韓国政府、日本の閣僚の靖国参拝に「真の反省が未来志向の韓日関係の土台」
韓国は、日本に統治されていた時代は、日本だったわけで、日本が韓国に侵略戦争したわけではないのだが・・・いつ、韓国が日本と戦争したのだろうか?不思議な話だ。
特攻隊になった韓国人もいる。戦場で日本人と一緒に戦った人もいる。それは、全て強制的に戦わされていたというのか?
そういう人達も含めて靖国神社に祀っている。靖国神社は、国の為に戦った人を祀っているだけだ。
日本人は、亡くなってしまえば敵も味方もないという考えで、昔から古戦場では、双方の死者の慰霊碑を建て供養する。同じように、A級戦犯になった人でも、亡くなれば生前の行いで、酷い扱いはしない。
韓国というか李氏朝鮮時代には、亡くなった人の墓をあばいて生前に行った事を罪に問い、〇体に、酷いことをするというのはあるくらいで、〇後も生前の行いで、批判されるという文化だから、韓国人からすれば納得できないのだろう。
中国でも春秋戦国時代の伍 子胥は、死者に鞭打つという格言で知られている。楚の国の重臣だった伍 子胥の父が、楚の王、平王に殺され、伍 子胥は呉に亡命する。
呉でも、色々とあるのだが、有名な呉の闔閭王の側近として仕える。そして、あの孫武を王に推挙して、孫武が将軍になる。孫武と共に、楚を攻めて、これを滅ぼし、平王は既に死んでいたので、王墓を暴き、平王の死体を300回に及び鞭打って恨みを晴らしたというのが、「死者に鞭打つ」という言葉の語源と言われる。
この事をかつての親友の申包胥にあまりに酷いと責められているし、中国の歴史でも、こういう話は聞かないので、中国でも一般的でもないのだろう。
日本人の感覚では、ちょっと理解できない部分だ。高野山では、戦国武将の墓が並んでいるのも有名で、武田信玄・勝頼、上杉謙信、石田三成、明智光秀、織田信長の墓がある。戦国時代の武将というのは、人を殺めているのは、十分に自覚しているので、晩年に仏門に入る人は多い。
上杉謙信は、本名は長尾景虎で、関東管領上杉憲政の養子となり、上杉性と関東管領職を譲りうけた。上杉家というのは、足利尊氏の母方が上杉家で、それ以降、幕府の重職についている家柄だ。
毘沙門天を信仰したことも有名で、法号として謙信を名乗っている。
武田信玄も、本名は武田太郎晴信で、晩年になって法号として信玄を名乗っている。「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」という格言も有名だ。戦国時代最強と言われた武田軍の言葉としては、違和感を感じるかも知れないが、武田信玄は、自らの住居には、城を作っていない。
城というものの性質をよく理解していると言われる。
遺言で、後継者の武田勝頼に、越後の上杉謙信を頼ることと書いている。川中島の合戦で、5度に渡り死闘を繰り広げた相手なのだが、お互いに認めていたことがわかる。
勝頼の時代に、姉の菊姫を上杉謙信の後継ぎである上杉景勝に嫁がせている。
こういう事実から、戦国時代に生きた武将の強かさと、考えが見えてくる。
「情けは味方、仇は敵なり」
5回も戦った相手なら、本来であれば一生敵対するものだが、戦というものが個人的な恨みなどでやっているわけではないことを十分に理解しているからだ。
どこかの国のように、1000年も恨みを持ち続けるなんて言ってる国とは、全く違う。
これだけ、根本的な思想、考えが違うのだから、どんなに時間が経っても、仲良くはならないだろう。
光復節:「球場の日の丸下ろせ」「『蝶々夫人』放映は不適切」 韓国各地で繰り広げられたドタバタ劇
韓国の民度の低さが、もろにわかる記事だ。
光復節か、なんだか知らないけど、その日にプロ野球の試合に、日本人が出るのもダメらしい。
球場に所属選手の国旗を揚げているのも、日の丸はダメということだ。これだけ、徹底した反日、日本差別を国会、社会を通してやっている。
いつものように、今までは問題なかったのに、突然問題だと言い出す。なにが、発端で、どういう理由なのかもわからない。単純だ。理由とかではない。感情だけの問題だからだ。
後進国のような振る舞い?いや、後進国だから、国と国民が協力して日本製品不買運動なんてやるし、福島の処理水の件でも、騒いで塩の買い占めとかするのだろう。
これも意味がわからない。日本のビールと戦っているのですか?日本製品が、なんの関係があるのですか?
そもそも、日本が統治するのを決めたのも、当時の大韓帝国であって、日本が軍隊を派遣して、大韓帝国を滅ぼして、直接統治したわけでもない。
植民地にするなら、大韓帝国の全てを破壊して、自分達の統治機関を作れば終わりの話だ。
この記事を見てもわかるように、反日は韓国の国是だ。変えようがない。むしろ、反日がもっと過激になっている。旭日旗も、2012年以降に騒ぎだしている。
次から次にと、新しい問題を作り出しているのは、韓国のほうだ。問題にして、賠償、謝罪、賠償、謝罪だ。
理屈とか理論は、関係ない。そう思ったから、そう感じたから、やっているだけだ。
反日、親日の前に、もっと前に大前提として、それを行うことに意味があるのか?それは、社会的にプラスになるのか?人として、正しい行動なのか?そういう価値、判断ができない限り、変わらないだろう。(かわることはないだろ)