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戦地の育児

私の育児

私、しい、には7歳の息子がいる。
私の育児は干渉的ではなく、どちらかというと放任的だ。
道徳・倫理観念を培っていくことにだけしか意識が向いていない。
だがそれは、育児に置いて当たり前のことであろう。
私の育児はこれでいいのだろうか、といつも悩んでいる。


そんな私の育児は、平和な日本で続いている。
核兵器もなく、憲法9条を掲げる日本。
台湾有事、北朝鮮のミサイル、そして絶え間なく起こる天災に不安を感じることはあるが、それでも「平和」と呼べる日々だ。
もし、「日本は平和じゃない」と言ってしまったら、戦地で生きる人々に対して無礼ではないだろうか。そんな思いが頭をよぎる。

だからこそ私は、時折ふと思うのだ。

戦地での育児とは、どれほど壮絶なものだろうかと。

戦地の育児は


戦地の育児、で思い浮かぶことは。

飢餓、医療の欠如、教育の場がないという現実。
それ以上に、子どもの心と発達に与える深刻な影響。
ふと考えるだけでも、心配事が尽きない。

そして何より、自分の命よりも大切な我が子を、凶弾や空爆で失うかもしれない恐怖。
あるいは、自分が先に命を落とし、我が子を置いていくかもしれない恐怖。
この二つが、私には一番「怖い」。

実際に戦地での育児について調べてみると、次の文献にたどり着いた。

そこにあった、戦地で育児をする母親の言葉が忘れられない。

「できることを何でもしてあげたいけど、それができないことが辛い。」

自分が空腹になるより、子どもが空腹になる方が辛い。それは想像に難くない。

さらにこちらの文献にも目を通した。

子どもの95%が抑うつ状態にある。
文字にすると、その現実の残酷さが増す。

私は、このあたりで戦地での育児を直視することが辛くなった。

もし、私が戦地で育児をしていたらどうだろう。
子どもから「どうしてこんなことが起きるの?」と問われたら、私は何と答えるだろうか。

戦地では、子どもたちは幼い頃から生死に直面する。
そして、たとえ平和が戻ったとしても、戦争のトラウマは心に深く刻まれ続けるだろう。

この現実が、悲しく、そして許せない。

私にできることは


では、私に何ができるだろうか。
やはり、私には寄付活動を尽力することしかできない。
支援機関や多くの人々が寄付や支援を続けているが、それでも全く追いついていない。
また、こうした支援は継続性が求められる。

では、寄付活動をどのように広げていくべきか。
これから、ばばスカの頼りになるメンバーと共に考えていきたい。
そして、戦争のない世界を作りたい。

谷川俊太郎さんが生前こう語っていた。

「戦争はなくならないよ。だって、人って争うじゃない。」

私もそう思う。
それでも、私は戦争のない世界を望んでいる。

だから、こうやって声を上げるのだ。

戦争、反対。

最後に


私たちは、「当たり前」に感謝しながら、その「当たり前」を享受できない人々のことを考える責任を負っている。

「できることをしてあげたい。でも、それができない。」
その言葉には、どれほどの無力感と葛藤が込められているのだろう。

私たちには、小さくとも確かな行動を積み重ねることしかできない。でもそれが、戦地で生きる人々への「私たちはあなたたちを忘れていない」というメッセージになる。

今日も戦地で自分と子どもを守りながら生き抜いている親子たちに、平穏な日々が訪れますように。

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