「誰が好きか」よりも「誰といるときの自分が好きか」が大事って話
推敲なしのラクガキ。最近思うところがあったので文字にして成仏させていきたい。
これは人間関係の落とし穴の話だ。
人は、自分が尊敬している人、自分が好きな人、何かしらすごいところがある人など、自分にとって魅力がある人と交流を持ちたいものだ。
そういう人と交流している自分の価値が高く思えたりするからである。
ただ、これは全くの間違いだと私は思っている。
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たぶん、人生には煌びやかな目的はない。
私からすると75年耐久の暇つぶしレースだ。
生物の定義は「外界と膜で仕切られている」「代謝する」「複製を作る」なのだそう。もちろんヒトも生物なので、生きるということはこれら3つを達成し続けることが目的になるのだろう。
ざっくり言えば「とりあえず生存しつつ、繁殖する」を目指していくことになるのだろう。
ただ、残念ながらヒトには知性があるので、生存して繁殖するだけだと物足りないらしい。
物足りなさを極めるとヒトは自死し始める。
自死する生物はたぶんヒトだけだ。知性を得た結果死んでいくのはなんともおかしな話だと思う。
物足りなさの正体が「幸せ」にある。
幸せな人は自死しないし、不幸を極めた人の一部は自死し始める。なのでとりあえず我々は幸せを求めて生きていけばよいのだろう。
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幸せとは主観だ。
何も持たないと思う人は、芸能人や富豪やインフルエンサーを見て「有名で、お金もあって、なんと幸せそうなんだ」と思うが、実際には幸せそうに見える彼らにも苦悩はあるし、鬱になる人だっている。
他人から見てどんなに羨ましい環境にある人でも、当人の主観として満たされていないのであれば、それは不幸だ。
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タイトルを回収しよう。
😉