
いつかやってくる"負け"にどんな意味を見出すべきか。
子どもの頃に解いた算数の問題を紹介しよう。
「10,000チームでトーナメント戦をします。敗者同士の試合はありません。このトーナメント戦において開催される試合数はいくつでしょう?」
答えは「9,999試合」だ。
1試合で生まれる敗者の数は1チーム。
10,000チームのうち優勝チームだけが敗者にならない。
したがって 試合数=敗者の数 なので10,000-1=9,999試合
解法がユニークだったのでよく覚えている問題なのだが、コーチになった今は別の視点でこれについて考える。
スポーツは敗者の方が多い
ということだ。
1つの大会で優勝するチームは1チームだけ。
なんならその優勝チームも全国大会、世界大会と進んでいけばいつか負ける日が来る。
1度世界チャンピオンになっても年齢を重ねればいつか負けることになる。
引退すれば負けることはないが、勝つことができなくなるのは間違いのないことで、いつか敗者と同じ能力になる。
そこらのミニバスチームからNBAのチームに至るまで、ほぼ全てのチームが勝利を目標に掲げて年単位で努力をする。
しかし、何度も言う通り勝てるのはたったの1チームだけなのだ。
こういう現実がある上で、私は「勝ち以外は無意味」とは思いたくない。それを認めてしまえばスポーツの価値そのものを否定することになるからだ。
では「負け」に対してどのような意味づけを行っていけばよいのだろうか??
これを考えていきたい。
😉