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「なぜ勝ちたいのか?」コーチが勝ちを要求することの価値について。これからコーチ始める人に読んで欲しい記事。

まえがき

この前clubhouseで「なぜ勝ちたいのか」について考えを共有し合うルームがあった。

私はこの手の話が大好きだ。自分が抱える欲求はどこからやってくるのかに大いに興味がある。

それが分かっていれば「気づいたらバスケが楽しくない。自分はなんでバスケやってるんだっけ・・・」といった悩みが生まれることもなくなる。

勝ちたい理由を自問自答することで様々なことがわかる。

自分にとってスポーツの目的とはなんなのか。明日突然死ぬかもしれない中で、有限な時間をスポーツに使う価値が本当にあるのか。自分はどういうスタンスでプレイヤーに接すればよいのか。バスケキッズの親として本当に勝ちを求めることは正しいのか。

私の結論は「基本的に勝つことや勝ちに行くことには価値があるが、必ずしも正義とは限らない」だ。

この話を掘り下げていきたい。

人生あるあるのミス「手段の目的化」

「手段の目的化」というフレーズがある。

ある目的を達成するために考えた手段。いつのまにか目的を見失って、手段を実行すること自体が目的になってしまっているというマズい状態を指している。

これは例えばお金を稼ぐことなどで起こりがちだ。
一般的には稼いだお金で何かを買ったり、経験や体験に変えていくのが目的のはずだ。しかし、いつのまにか稼ぐこと自体が目的になってしまう。その結果、お金はあるけど何に使うわけでもなく、とりあえず貯金するといった状態に陥る。

そしてこうなる。

「自分、なんのために働いているんだっけ」

バスケという手段 / バスケをする目的

バスケは実は目的ではなく手段だ。

バスケに関わる人は、バスケを通じて何かを得ようとしている。
もっとストレートに言えば、バスケを通じて自分の欲求を満たそうとしている。

欲求。それは例えば競争心を満たすこと、目立つこと、リラックスできるコミュニティに属すること、生計を立てること。

競争心を満たしたくてバスケをしている人は、負け続けるようになったらおそらく別のスポーツや勝負事を始めるだろう。

目立ちたくてバスケしている人は、地味な役目を任されるチームではやっていけないだろう。

欲求と現実得られるものにギャップがあると「手段の目的化うつ」に陥ることになる。

「なんで自分はバスケやってるんだっけ?」と悩む彼は、バスケがしたかったのではなく、バスケで自らの欲求を満たして幸せになりたかったのだ。

そう、バスケは単なる手段のひとつであり、バスケをする目的は幸せになることだ。

人生の目的

なぜ生きるのか。

人生の目的がなんなのか、明確かつ具体的な答えを私は持っていない。
私は1年に数回猛烈に気分が落ち込むことがあり、その度にこういう話を考える。

「なんでバスケしてるんだっけ。楽しみたいからか。楽しんでどうするのか。」

ここから先に進めたことはなかった。
したがって、現状私にとって人生の最終目的とは「幸せに過ごす」となっている。

バスケは「幸せに過ごす」ための手段ということになる。

幸せというこの概念は抽象的で、私は少しでも幸せを因数分解したかった。

先人の知恵を借りようと「幸福論」などの哲学書を読み漁ったが、求めていた答えは見当たらなかった。

案外役に立ったのはWHOによる健康の定義だ。

「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)」

健康を幸せの条件と仮定すると私としてはしっくりきた。

肉体的に苦痛がなく、精神的に安定しており、社会(=他者)から求められている状態。
 (おそらくこれらは相互に作用する。メンタルの不調が頭痛につながったり、求められることでメンタルが安定したり。)

バスケはこの状態を作っていくためのツールということになる。

こんな感じの理解で私はバスケと関わっている。バスケをすることで健康の3軸を達成することができるからだ。

「なぜ勝ちたいのか」

ここまでの話を踏まえると勝ちたい最終的な理由はひとつに絞られる。

「幸せであるため」だ。

勝つことは爽快だ。スラムダンクにおける豊玉高校はこの話をよく表していると思う。
「バスケットは好きか?」や「勝った方が100倍楽しいもんな」など。
バスケをする目的はなんなのかを見つめ直しながら、純粋に勝つことが楽しいということも言及している。

勝利至上主義という言葉が存在することからもわかる通り、勝利を追求することがよくないことのように感じられる意見も世の中には存在する。

だが、私からすれば勝利を激しく求めることは決して悪ではない。バスケはあくまで勝敗のある遊戯であり、勝利を求める前提があるからこそ勝敗を決めるためのルールが設定されている。
勝つことで欲求を満たして幸せを感じることができるのだ。

しかし、裏を返せば「幸せを感じられない勝利」はその人にとって価値がない

・パワハラ軍隊指導で勝ったけれど、主体性が発揮できなかったが故につまらない。むしろつらかった。
・あまりにも勝ちすぎてしまい、喜びが薄れてしまった。

など。

つまり勝利至上主義は悪くない。
ただし「幸福度外視勝利至上主義」はまずいと思う。

コーチは自分のスタンスを示せ

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