生成AIと松下幸之助
生成AIを巡る議論が喧しい。
怖れや危惧を伴う議論の多くは、やがてAIは人知を超えるとか、人間の働く場所の多くがAIに侵食されるとか、ヒステリックではない場合でもSFの領域に足を踏み入れたものが多いように思う。
冷静に拠るならば、あくまで自分に引き付けて考えてみるのが一番の早道だろう。自分は果たしてAIに置き換わられるのか、或いはAIに違いを見せつけるにはどうすれば良いのか。
そう考えれば、答えは簡単だ。日々新た。そうすればいい。
AIの日進月歩の速度は人類のこれまでの技術革新のどのスピードより速いのは間違いない。
取り扱うデータ量が増えれば増えるほど、それを分析する算式の数が増えるほど、答えを正解に近づけるための修正式(パラメーター)の数が増すほど、AIは頭が良くなる。
逆に言えば、私にそっくりな頭脳、知識、経験を持つAIは、私が自分を前に進める(ここが肝心だが)思考や知識、経験を身に着けた途端、私ではなくなる。よってAIが導いた答えは私にとっては無用か余計な産物となる。
日々新たとは、パナソニック創業者、松下幸之助さんが大事にしていた言葉の一つだ。
2000年から6年間、同社の社長を務めた中村邦夫さん(故人)から当時、こんなお話を聞いたことがある。「社業が苦しく悩んでいたとき、幸之助さんの本を漁るように読んだ。それで気が付いた。数多ある幸之助語録も煎じ詰めれば、日々新た、これに尽きる。自分にとって、自分たちにとって大事なことを、毎日1つでも多く身に着ける努力。難しく考えず、そうやって経営の舵を取るようにした」。パナソニックは復活し、中村さんは名経営者と呼ばれるようになった。
本来、自分にとって必要のない知識は多い。それが人間であり、頭の良い人が必ずしも幸せとは限らないのもこの世の常だ。AIは今の勢いで“進化”しモンスター化した挙句、自分を制御できずに自壊するような気がしてならない。
自分スピードでの日々新た。のろまな僕らは自分の道を一歩ずつ進もう。