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「もう、溶けた。/mealerrand」を語るだけ

聴け聴け~



※全て私の独自解釈です












espressivo

もう、溶けた。










1.ハレ

電源が入る音。最近ではあまり聞かない、少し古めの電子機器独特のボッという音です。

最新のノートパソコンは静かに静かに立ち上がります。あまりに流れるように画面が点くので、「電源が入った」という感じが全くしないままに、電子の海に飛び込むことになります。ネットが生活に溶け込んだ、とはこういうことを言うのかもしれません。

この曲はピアノ前奏をゆったりとってくれて、ふむふむとクレジットを読ませてくれて、「ここに色んな事を表示」そうか、ここに色んな事を表示するのか、と反芻させてくれます。非日常に入る準備をしっかりさせてくれるところが好きです。

2.生活

見えない思い出の狭間に
暗い夜部屋の中でひとり
光り続ける画面
ちぎれかけたコード
この今がダメなんだと
思っちゃってる!?
都合のいい考えだけで
居れたらいいのにな
絶対逃げられはしない
結局昨日のことが嫌になる
そんな学習も出来てない
だけどその楽しさは
何故か不思議な事に
まだ離せないんだ

もう、溶けた。

私はこの歌詞を作曲について歌っているものだと思いました。
ボカコレ以前もそうだったのかよく知りませんが、開催に間に合わせるべく徹夜作業してるボカロPはたくさんいますね。
この曲の概要欄にもそれを仄めかすことが書いてあります。

そして、創作の苦楽、横たわる自己嫌悪、どうしても離せない魅力。

これを極々シンプルな、歌詞だけを伝えるための画面に映し出す。
動画が物足りないかもしれないとのことでしたが、むしろことばを純粋に聴くことができ、序盤にしてしっかりと味わうことができる。

表現には偶発の連続である面もありますからね。ちなみにこれが計画通りだったのかは勿論存じ上げません。


3.夢

目覚めた時は既に
知ってる場所じゃない
かもしれないし
朝とかじゃないの
また何かが惑わしてくる
いつもの暁が見てくる
それが特別な事なんだって
やっと気づいた
ぐちゃぐちゃになった土の上を
一人で歩いてる
気づいたらもう
夢の中から
追い出されてしまったんだ

もう、溶けた。

BPMが一気に上がる。ピコピコした電子音。MVの色が変わります。ヒメも出てきます。

目覚めた世界への違和感が、浮遊感のある調子で表現されています。

朝とかじゃない。暁が見てくる。即矛盾してるように見えますけど、擬人法が用いられた「暁」が何たるかという方を考えるべきかもしれません。

例えば、目覚めた先が夢の中なのではなかろうか。

そもそもここの歌詞、特に前半部分は"2"と比べて全体的に表現に浮遊感があるように思えます。断定の少なさ、正体不明の指事語など。

「暁」は、繰り返し見る夢。朝ではない何か。惑わしてくるもの?

また夢説の最大の根拠として、最後に「夢の中から追い出され」たとストレートに言っていることもあります。「ぐちゃぐちゃになった」以降に場面が転換されていると考えることもできますが、個人的にどうもそんな気はしません(後述)。

ここで小ネタですが、梅の花についてこんな言い伝えがあるとのことです。

ソースがブログしか見つからないので微妙っちゃ微妙ですが、梅の花が下向きに咲く年は大雨になるそうで。ところで、このパートの前半部分に登場するヒメは下を向いています。ヒメは梅の精霊でしたね。

そしてその後の歌詞にぬかるんだ土。本当に雨が降ったようです。

土の上を歩いてる時は夢と現実の狭間みたいなものでしょう。そして夢から覚めたら真っ暗な画面。実際に真っ暗な部屋に起きたのかもしれませんし、ふわふわした夢と比べて現実生活の状況が真っ暗なのかもしれません。

4.現

どうにも出来ないままで居たくない
だからここに引き篭っていたいのに
凍り付いたこの心とかがさ
君に見せたくないから
まだ放っといて欲しいな

もう、溶けた。

サビ。「君」が初登場します。というかここでしか出てきません。

さて、またしても繋がりが不鮮明な歌詞があります。どうにかしたいという前向きな感情から、引き籠っていたいというネガティブシンキングが導かれていますね。

これは歌詞に歌われていない部分を補完してみると、意外とスムーズに繋がります。「放っといてほしいな」というのは、「引き籠っていたいのに」引き籠ってはいられない事情があり、その事情に反してでも放っといてほしいという願望のはずです。その事情というのが、「どうにも出来ないままで居たくない」なのではないかと推察できるわけです。

このままだと余りに抽象的すぎるので、もう少し突っ込んでみましょうか。野暮とも言います。

まずどこに引き籠っているのかですが、おそらく自室でしょうか。この場面では夢から目覚めている筈なので。"2"の解釈から、作曲をして引き籠っているのでしょう。すると、どうにも出来ないことをなんとかする手段は作曲にあるのではないでしょうか。ではどうにかしたいものは何かというと、「凍り付いたこの心とか」だと思われます。まとめると、作曲によって「凍り付いたこの心とか」をどうにかしたい。ココ重要。弊noteの中では、ここの表現を楽曲の中核を成すものとして捉えます。また後で出てきます。

5.裏

好きなMV発表ドラゴン「コード進行を表示するやつ」

うーん、いい。

この演出の何がこんなにも魅力的なんでしょうね。考えうる一つの可能性として、「音楽に生々しさが与えられる」というのはあると思います。この論理を基にして作りました、なんて素人聴衆にはよく分からないのですが、よく分からないなりにも裏を垣間見ている気分になるんですよ。楽曲について、一つ何かが確かに紐解かれた感覚がするんです。とすると、私が「考察勢」であることにも要因があるのかもしれません。作品に対して働く知的好奇心を少しばかり満たしてくれるわけですから。

.表裏

しかし少なくともこの曲は、生々しさを与えるだけに留まらないのです。画面が暗転し、曲調が再び静かになった後、コード進行が今度はTAB譜として表示されます。

一方、鳴っている音は明らかにギターではない電子音。どことなく実感を伴わせない乖離が起こっています。
この生々しさと浮遊感の共存が、この曲の大きな魅力だと思うんですよね。

ただ見守っていたら
それで良かった
我儘で申し訳ないけど

もう、溶けた。

ヒメは眠っているようにも、項垂れているようにも見えます。眠っているとしたら再び夢の中に入っているということでしょうか。でも"3"では起きてたから関係ないかも。あるいは項垂れているとしたら……それは逆に現実でしょうか。

一旦何を見守るかは置いておいて、ここで重要なのは「見守るだけのことでも難しい状況である」ということ。

6.フィジカル

ただ恍惚していた
もう上の空だった
ぼーっと見つめる時が
僕はとても仕合わせで

もう、溶けた。

ヒメは何かを握っているようですが、さっぱりわかりません。

見守っているときに至上の幸せを感じる。

と、ここで画面がグワーッと拡がります。魅入りすぎてしまったようです。この音好きすぎる。

その線の先に手を伸ばして

もう、溶けた。

「線」の正体、これは完全に直感なのですが、五線譜のことだと思いました。あるいはコードダイアグラム。

楽譜を見守る。無論楽譜を書く側からの視点です。書く、というと能動的すぎるように聞こえるかもしれませんが、ここでは画面上の作業でしょうから「見守る」という表現に案外マッチする気がします。音楽の、創作の中に入り込む。

7.バーチャル

晴れてくこの視界
段々と誤解が無くなり始めて
データの細波に 少しふらついて
二つだけの世界が
嘘だと気づいた?

もう、溶けた。

心を奪われ没頭することを、夢中と云う。光の満ちる場所は夢の中である。
(うわぁ!いきなりポエムを出すな!)

データの細波にふらつく、とはどういうことでしょうか。いや、そのまんまの表現です。いま、データの世界にいるならば、その細波にふらつくのは当然です。
「二つだけの世界」もさまざま解釈の仕方があるでしょうが、私は二進数の世界のことだと考えます。

繋げてみましょう。夢(嘘)の世界とは音楽の中の世界、すなわちコンピュータの世界。入り込んでしまった、魅了されてしまった世界。これは現(真)の世界であり創作する主体としての世界、またスクリーンの前の世界と相反します。苦しみのある、思い通りにいかない世界。

このくらいで止めておきましょう。え?何言ってるかよく分かんないって?そこなんですよ。

この曲は、境界が設定されているにもかかわらず、その境界が曖昧さを含んでいます。

境界とは何かというと、MVの左上に表示されている数字のことです。この記事の見出しを対応させています。
今までの解釈を辿ってみると、"1"の"嘘"から始まって番号が変わるごとに夢と現実を行ったり来たりしている法則性が見つかります。少々無理あるところもあるかもしれませんが、おおまかなニュアンスとしては二つの世界を交互に表していると思うんですよ。

しかしそれも"5"で終わりです。"5"と"6"の間に数字が表示されない空白期間が存在します。ここで一種の世界の混交が起きていると考えるのは不自然でしょうか。
いや、そもそも目覚めるという表現を夢を見ると解釈する時点で、相当に不自然、境界を設定しておきながら境界に現実感を与えないアンビバレントな解釈です。

……ごちゃごちゃ並べましたが、要するに何が言いたいのかというと、二つ対比された世界があり、ときに混じり合う、ということです。

8.崩壊

ぽっかりと空いていた理解
結局本当の事も嫌になる
すり替わった今と昔の事は
もう 跡形も残ってないや
(フェイク 藤井風みたいな)
(たとえ偽物の自分だとしても僕は惑わされに行くんだ)
「どうしてなの、
こんなの望んでない!」
なんて思ってても仕方ない
もう終わっているから

もう、溶けた。

「ぽっかりと空いていた理解」って面白い表現ですよね。つまるところ、魅入っていた世界への理解に穴がある……そこが偽りの世界であると分からなかったということなんでしょうが。

本当の事、は現の世界について言っているのだと思ったのですが、助詞の「も」が気になります。というのも、今まで苦しんでいたのはまさにその本当の事、つまり創作の苦悩、あるいは凍りついた心のことなのですから、この言い方ではニュアンスがずれます。
では改めて本当の事とは何かというと、嘘の世界が嘘の世界であるという真実そのもののことだと考えました。その真実に気づいてしまったことで嘘の世界も愛せなくなってしまった。没入できなくなってしまったのです。

「今と昔」という新たな対比が登場しました。これもそれぞれどちらかの世界に属する概念だと思うのですが……まあ、深掘りはしません。それよりも、「すり替わった」「跡形も残ってない」ことの方に焦点を当てたいのです。これは二つの世界の境界がついに崩壊したことを示しているわけです。
嘘の世界は、嘘であると暴かれてしまった今、もはや真の世界からの営力に耐えきれず、儚くも霧散してしまう。ちょうど子どもがごっこ遊びから卒業するように。
……そういえば、一体何のきっかけでこの虚構性に気づいてしまったのでしょうか。

ここでのフェイクとは藤井風もよく使う歌唱テクニックのことですね。

ここの歌詞はMVには映されず、stemデータに公開されているだけなので、まさに即興の歌声なんでしょうね。予め打ち込まれた歌声ではあるのですが。
しかしなんと心を打つ歌声でしょうか。偽物といっても、これでは惑わされざるを得ません。

「こんなの望んでない」なら、望んでいたことって何でしたっけ。"4"で言及しましたね。引き籠っていたい、作曲に没頭していたいという望みのことです。
ではやりたくないことは?「凍りついたこの心とかがさ君に見せたくない」ですね。凍りついた心を「君」に見せる時が来たようです。

するとどうでしょう、「終わっている」が完了形ではなく進行形に聴こえてきません?"He is dying"と書いて"彼は死にかけだ"と訳したりしますが、それに思えるんですよね。

どういうことかというと、主語が曲、この曲が終わりかけているということ。或いは……主語が創作、作品が完成しかけているということ
一度しか登場しなかった「君」が誰なのか、これは諸説ありすぎるのですが……ぼくら視聴者だったらめっちゃ嬉しいなあ、って感じです。そうはいってもこの複雑で美しい感情を受け止めきれる自信はありませんが。

9.溶融

今まで
悲しくて
寂しくて
傲慢で
不完全な
表現が
歪な形のままで
感情も
考えも
その癖も
この音楽の形さえ
全てが 戻らなくなってしまったんだ

もう、溶けた。

なにか溢れ出てくるような、リズムは変わってないのに堰を切ったように歌い始めました。歌詞の表示スパンの短さもそれに拍車をかけています。

「表現」についている修飾が押並べてネガティブですね。現実に表現を創っていくときの世界は苦悩を伴うものでした。

「感情」「考え」は、凍りついた心のことでしょう。なぜそう考えたのかというと、タイトルを回収するためです。
この曲の歌詞中で、直接「溶ける」という表現は一度も登場しませんよね。しかし「戻らなくなってしまった」という結びの歌詞が「溶けた」ということを言っていると考えるのは可能です。そしてその「溶ける」という表現に最も適う歌詞が「凍りついたこの心」なのです。凍りは溶けるものですから。

しかしここで違和感が生じました。"4"では凍りを溶かしたかったはずなのに、「戻らなくなってしまった」という表現には落胆のニュアンスが感じ取れます。

「その癖」は作曲の手癖ってやつでしょうか。よく分からないですけど。

「音楽の形」が戻らなくなってしまった。これを単純に「曲が終わる」と解釈することもできますが、もう一歩踏み込むと「曲が完成する」と捉えることもできます。本当に?作品が形を持って完成することと「音楽の形が戻らなくなる」という表現は相容れないもののように思えます。

ここまで興ざめにも矛盾点を挙げてきましたが、しかし二項の混濁こそがこの作品の特徴だというのは先に言及した通りです。

そもそも、二項のうちの一組である「作品の中の世界」と「創作の主体としての世界」をもう一度並べてみましょうよ。作品がある種の夢であり、創作は辛い現の世で行うものである点で、確かに両者は対立していますが、しかし一方が成り立たなければもう一方も成り立たない、共依存関係にあることが分かるはずです。苦しい創作の過程がなければ、作品は生まれないのですから。同様に、具現化したい"夢"がなければ創作をしようとは思いませんから。
「コンピュータの世界」と「スクリーンの前の世界」はもっと明快です。前者から後者を見ているわけですから。ただしここでは初めから混濁が起きています。後者から前者に移動するとき、"夢"の世界に魅入るとき、"目覚める"とき、それはふとしたタイミングで簡単に、自覚なく訪れるのです。夢中になるって、でもそういうことなんです。

さてさて、「戻らなくなる」とはどういうことでしょうか。
音楽は瞬間芸術です。瞬間瞬間に過ぎ去る音を聴くものです。その意味では曲が終わってしまえば戻らなくなるというのは、まあ当然っちゃ当然です。尤も何回でも再生できるんですが。
そしてそこに乗っている感情、考え、その癖も、ある意味では失われてしまう。この理屈も大いに分かります。尤も何回でも再生できるんですが。

というわけで、これで終わらせるには納得いかないのが哀れな考察noterの性質です。いや、違うのよ。ヒメの最後の「しまったんだ」が淡々としつつも切実で、苦しくなる、嗚呼、消費してしまうには重いことよ。

作品が公開されると、それは最早夢ではありません。現に形になって、ぼくたちに晒され、ときにコメントが流れ、またときに競争のレーンに乗る。
凍り付いた心とかは君に見せられるものに溶ける。夢が現に構築される。すると夢は消える。君に見せることで、嘘だと気づかれてしまう。夢への理解が埋まってしまう。虚構性が明るみに出る。
現との隔たりがスマホの画面一枚になる。とはいってもぼくたちは曲に入り込む体験をする。溶けていく音の一瞬、言葉の一瞬を逃すまいとして。でも、それは決して作者の夢と同じではない。完成した形は、公開によって脆くも崩れる。「開催期間夏なので」、外の熱で溶けてしまうね。クーラーのついた夜の部屋から飛び出して。

10.ケ

疲れた(←なんて勝手な奴だ)。

最後、一点だけ極めて個人的な感想があります。

この曲、ループ再生をする気にならないんです。

暗転した画面にピアノソロ、「少し疲れたでしょうから、涼んでいってください」という表示、そして一旦最初のメロディに戻り、見せる気のないクレジットを出し、すぐに電源が切れる音とともに動画が終わる。
そこではっとして、「あ、終わった」と思い、間もなく6分間固定されていた目を上げて部屋の壁を久々に見ることになるわけですが。

その過程を経てから、少なくとも三日間は再びこの曲を聴く気にならない。申し訳ないけど次に聴きたくなるのを気長に待っててくれ、って感じです。
ゆったりとした消費、と言えば聞こえはいいですかね。

理由はいくつか考えられましょう。六分というかなり長い曲の時間で充足感が得られるとか、既に向こうが一度擬似的なループ再生をしてくれた状態でもう一度イチから曲を聴くのは不格好だとか、「少し疲れたでしょうから」は特にボカコレ期間中だと相当染みるだとか、冒頭の論理の逆で電源が切れるボッていう音は日常への回帰を強める効果があるとか。とにかく、暫し現に、おまえの日常の生活に戻ってね、と言われている気がしてしまうのです。

で、そうすると必然的に曲を聴く回数も減るわけじゃないですか。すると頭の中にある曲の形がぼんやりしていくかというとそういうわけでもなく、むしろ自分の頭の中で幾度となく再構築されていくんですよ。
そしていざ久々に聴いてみると、「あれ、こここんな感じだったっけ?」ってなることが多いんです。

この事象を無責任に面白いなあと思いつつも、一抹の寂しさも感じるんですよね。
もちろん"本当の"曲の形を僕が変えてしまっているのか……という引け目もそうなのですが、実を言うと曲を再生する度に自分の頭の中の「もう、溶けた。'」が消え失せることの方に虚しさを覚えるのですよ。

そこで私は閃いたのです。一度じっくりと曲に向き合って全て言語化して自分の曲のイメージを固定してしまえばどうだろうかと。かくしてこの記事が出来上がる運びとなったわけです。

そうして終わってみれば、どうもこれは固定すべき曲ではない、固定することはできないという結論に達しました。リスナー生活楽しんでいきましょう。ははは。

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