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得点期待値に対する、ちょっとした違和感

前回、送りバントの有効性を「得点期待値」で検証をした。ただ、これをやっていてこの「得点期待値」に対して、ちょっとした違和感を感じたので、これを文章化して頭の中を整理したいと思う。

この「得点期待値」の計算方法として、「Rによるセイバーメトリクス入門」では次のように書かれている。「この得点の可能性は、塁上のランナーとアウトカウントの組み合わせごとに、イニングの残りの平均得点数を計算することによって測定されます」。この「イニングの残りの平均得点数を計算する」計算式として、「RUNS.ROI = あるイニング終了時の得点ー現在の得点」が挙げられているが、この点に違和感を感じている。

具体的なケースを挙げてみると、同じ「ノーアウト一塁。その時点での現在得点はゼロ」と言う場面で、その後同イニング内で2点入ったケースと点が入らなかったケース、2つのケースがあったとる。それぞれの得点期待値は
前者のケースでは2点になり、後者は0点になる。もちろん、大数の法則に捉えて確率的に考えれば、平均的に得点期待値は真の値に近づくから問題ないことも分かる。分かるんだけど、全く同じ場面なのにその後の結果によって値が異なると言うのでは、「未来の事(結果)は分からないのに、何のためにその場面を作っているのか?」と突っ込みたくなってくる。それよりは、「ノーアウトランナー無しの得点期待値」、「ノーアウトランナー1塁の得点期待値」はその後の得点有無に依らず固有の値を持っている方が、理解がしやすい。感覚的だが、「ノーアウトランナー無し」の場面で点を入れる方法は、ソロホームランを打つしかないので、得点期待値は相当に低い。だが、フォアボールを選んで「ノーアウト1塁」の場面を作れば、点を入れる方法が増えて「1塁ランナーが生還する長打を放つ or 2ランホームランを放つ」となる。点を入れる方法が増えれば得点期待値は上がる。また、ランナー3塁になればスクイズでも1点を取ることができるので、点を入れる打撃技術的な難易度が下がることで得点期待値が上がる。野球をこうした「点を取るために有利な場面を作るスポーツ」と捉えて、得点期待値が高い場面を沢山作り出すことで、確率的に点を取る事ができる。そして、27個のアウトと言う制約条件下で相手よりも得点を多く取れば勝利できる。

この先の話も個人の感想や間違った認識が含まれているかもしれないが、この「点を取るために有利な場面を作るスポーツ」と言う考え方は、将棋に似ているなと思った。いきなり将棋の話を持ち出して恐縮だが、ディープラーニング/AIの時代になって、コンピュータが人間よりも強くなっている。ただ、コンピュータ将棋にも歴史があって、私の適当な解釈だと2段階あったと思っている。最初の段階は「全探索」。その時点で可能性がある手を全て探索、それを数手先まで行って最も利得が高い状態になる手を打つ。要はロジックというよりは計算能力に物を言わせて全部やってみる、ということ。ただ、これに必要な計算量は指数関数的に増えるのでもの凄い量になる。当時の渡辺竜王に善戦し、時にプロ棋士に勝利することができるあたりがコンピュータ能力の限界点。現在の段階は「有利な局面の学習」。過去の何十万もの棋譜を学習し、勝者側に頻出する局面を「有利」とみなして、その局面を作るための手に利得を与えるという方法。何か、野球もそれに近い様な気がしてならない。

で、元の話に戻るが、「得点期待値が高まる場面を作るスポーツ」という野球を確率論的に捉えて、その場面の再現を目指すことに何の違和感も感じない。それはAI将棋の考え方にも共通していると感じる。ただ、その「得点期待値」の作り方として、「イニングの残りの平均点数」にすることに違和感を感じる。シンプルに場面ごとの得点期待値を出せだけで良いのに、と思う。

今あるデータ内にはなるが、次回このアプローチで再度「得点期待値」を考えてみたいと思う。


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