ENEOSとベイスターズ ドラ1度会の必然
お断り
今回の記事の中には一部の方に不快な印象を与える記述がございますことを予めお断り申し上げます。あくまで1ファンの私見ですので科学的根拠や歴史的史実に裏付けられた記述でないことをお詫びいたします。
名門ENEOS野球部
1950年、横浜金港クラブのエースであった日本石油社員の吉村英次郎が尽力し『日本石油硬式野球部』として創部したのがENEOS野球部始まりです。大洋球団と同じ時期に設立されています。1951年には都市対抗野球に出場、都市対抗野球には53回出場し、優勝12回です。社会人野球日本選手権には26回出場し、優勝2回です。54人のプロ野球選手を生み出している名門です。ベイスターズに選手として在籍したENEOS出身者は度会選手が14人目です。ENEOSからドラフト1位で入団したのは度会選手で4人目です。コーチのみの在籍者2人、球団職員のみの在籍者1人です。
ベイスターズに入団したENEOS出身者
佐々木吉郎 1962年入団 完全試合をした投手です。
平松政次 1966年ドラフト2位 200勝達成で最多勝2回防御率1位1回
大洋伝説のエース
奥江英幸 1971年ドラフト2位 投手通算53勝
五月女豊 1972年ドラフト1位阪神入団 太平洋を経て大洋で中継ぎ
根本隆 1974年ドラフト1位 投手後に西武移籍
荒井幸雄 1985年ドラフト2位ヤクルト入団 近鉄を経て98年ベイ優勝に
代打で貢献
高橋一彦 1985年ドラフト2位 投手後に西武移籍
石田文樹 1988年ドラフト5位 甲子園優勝投手 後に打撃投手
小桧山雅仁 1992年ドラフト1位 五輪代表投手
川村丈夫 1996年ドラフト1位 1999年17勝 後にクアトロKとしてリリ
-フ投手
三上朋也 2013年ドラフト4位 クローザー等リリーフ投手 後に巨人へ
齋藤俊介 2017年ドラフト4位 2019年一軍登板 ケガに泣く
谷口邦幸 1997年町野高校からドラフト1位投手 引退後ENEOSへ
度会隆輝 2023年ドラフト1位外野手
コーチのみで在籍
藤田元司 1975,76年大洋投手コーチ 他球団のユニフォームを着た後に
巨人の監督になった唯一の人物
大久保秀昭 2004-05年ベイスターズ二軍打撃コーチ ENEOS 慶大監督
球団職員のみで在籍
林裕幸 日本石油監督やシドニー五輪コーチを経て、横浜DeNAベイス
ターズでジュニアチームを指導、明治安田生命監督等経て
神奈川フューチャードリームスのヘッドコーチ
度会がENEOS出身野手として活躍できるかどうか?
ベイスターズに選手として在籍したENEOS出身者ではヤクルトー近鉄から移籍の荒井だけです。ENEOSから直接入団した選手では度会が野手としてベイスターズではじめてのパターンです。CSに向けたENEOSとの練習試合では、大久保監督にお願いして度会が普段守らない三塁手としてスタメン起用してもらったり、度会については調べに調べぬいて獲得しましました。特に野球への情熱が素晴らしいということは、ENEOSとベイスターズの深い関係があるからこそ知り得た情報です。度会もベイスターズの練習施設には馴染みがあるし、プロとして活躍するために自分に欠けている部分は何か、それを勝手知ったる施設でどう鍛えるか?わかって入団することになります。実力はあるけれど、生活態度に問題があり活躍できない選手もいます。度会選手に関して、そういう部分を心配しなくていいのは非常に大きいです。まずはENEOSの先輩外野手ヤクルト塩見を超える活躍をして、いずれは名球会入りの2000本安打を度会には目指して欲しいです。