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御伽の国のみくる

佳子内親王のご学友モモコグミカンパニー作品

佳子内親王と同い年でICUでご学友のモモコグミカンパニーは大学時代からBiSHに所属し活動してきました。その中で処女作「御伽の国のみくる」を上梓しました。2015年3月BiSH活動開始時からモモコグミカンパニーは参加しています。この「御伽の国のみくる」ですが、アイドルが片手間に書いた小説だと思ったら大間違い。かなり人間の内面を剥き出しにした作品になっています。本人が取材したかどうかはわかりませんが、登場するお店や街については丁寧な取材がされており、さらりと単純に読み易いものではなく、いちいち自分の心の中の本音と対峙する必要がある小説です。

キラキラしたものになれない者たちの哀歌

人間は小学生に上がる頃には必ず誰かと相対評価されるようになります。幼稚園や小学校では足が速かったり、縄跳びがうまいやつが圧倒的に人気があります。そして小学校高学年ぐらいになると勉強ができるやつの人気が出てきます。小学校低学年で運動で後塵を拝したものたちは、勉強で評価されようとしたりします。一方で圧倒的にかっこいいルックスの子も出てきます。「御伽の国のみくる」ではアイドルオーディションに落ちまくって、メイド喫茶で働き始める20代も半ばに差し掛かろうという女性が主人公です。メイド喫茶でもヒエラルキーが低く、でもカッコイイ彼氏(遊びとお金要員)がいることで自分の地位に自信を持ったりする人間のエゴや世間的偏差値の高さを保つよくわからない基準が散らばっています。アイドルのような限られた人だけがなれる世界の手前にもいろんなキラキラした人たちがたくさんいて、みんなが足を引っ張り合っている世界があります。そしてアイドルには名前を覚えてもらえないけれど、メイド喫茶のキャストには名前を覚えてもらえ、自分の話を聞いてもらえるからとそこに生きる場を見つける人もいます。圧倒的に多いキラキラしたものになれない者たちの哀歌がこの本には刻まれています。

虚構の中の自分で均衡を保つ

今回「御伽の国のみくる」を読んで思ったことは、人間誰しもキラキラした他人に憧れ、どこかでキラキラしたものに自分もなれると思っている部分があるのではないか?ということです。私もそうですが、いつも虚構の中の自分がいて、その彼は自分のようなしがない立場ではなく、地位があったり、才能が有ったり、ルックスが良かったりして、その人のストーリーを紡ぐ中で実生活では負けている誰かへの優越感に浸ったりしてしまいます。周囲にもいると思いますが、過去の栄光に未だに縋っている人や自分の出身校の先輩や後輩、友人がすごいということが自慢の人だったりいるはずです。私もそういうことを口にしてしまうことが多々あります。(過去の栄光は全くないので口にできないですが)現実のダメな自分と向き合えずに、目の前の小さな幸せを拾い損ね、到達不可能なキラキラした目標から遠く離れた場所でイライラし続けて堕落していくって経験誰でもあると思うんです。気持ちが切れてやさぐれてしまうことあるでしょう。この本はキラキラしたものへ憧れや世間のヒエラルキーに怯えながら生きることへ絶望せずに、自分の目の前にある小さな幸せと向き合うことの大切さを教えてくれます。

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