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第2章 朋有り遠方より来たる

第1章では世界平和という目的地の情報を手にしましたが、目的地が定まったからにはハンドルを握らなければなりません。
第1章はこれ↓

舵取りをし始めると途端に現在地が見え、同時に目的地までの想定航路から外れていることに気が付きます。

休学

そんなわけで学校を2ヶ月休学します。
かるく書いたけど、めっっちゃくちゃ悩んだ。
悩みに悩んで、担任の先生と話し合って、高校一年生が終わる終業式の2日前に決めた。そんなぎりぎりだから友達にも伝えてなかった。みんなに言うのは終業式当日となった。

終業式当日

終業式当日の朝。母が
「4年間よく頑張りました」
と言ってくれた。通学にはフェリーを用し、片道2時間半かけていた。
この言葉で、今日が最後になるかもしれないと思った。

その日、クラスはパーティーだった。私のクラスだけはゆるいのだ。他クラスが羨ましがっているのは毎学期の恒例行事。
楽しみつつ、時が来ると、それぞれ1−5での1年間を語っていく。
(私のクラスは3年前に新設された国際系のコースで少人数かつ毎年男子が少ない。私の年は極めつけで男女比9:1。つまり10人中男子は私一人でした。そんな不思議なクラスが1-5)

3人目から泣いていき、大号泣回に早変わり。母親を小学生で亡くした人がクラスメイトにいるなんて知らなかった。
みんなそれぞれに強い思いや期待、同時に不安を抱いて"ここ"に来たんだと知った。

まだ伝えていない。

掃除時間の担任の先生の目は赤く、潤んでいた。

そして、まだ1−5は潤目の人もいる中、重い足取りで前に出ていった。

伝え方に迷っている理由は、たぶん理解されないだろうという憶測が頭の中を飛んでいたからだ。
だが、考えている時間はない。そのまま言おう、そう決断したのかわからないほど一瞬の間だった。

自分の本当にやりたいことは、平和に関することなんです。そう気づいてから、授業や試験を受ける度に、本当はこれに時間を使いたくないと言う思いがだんだん強くなっていき、
4月から二ヶ月休学することにしました。

とありのままを伝えた。どう思われるかなんて気にする余裕もなかったし、言葉を選べるほど自分の中のモヤモヤを言語化もできていなかった。


言い終わると同時に、1−5のメンバーが大泣きしながら抱きついてきた。
みんなパーティーの倍、泣いていた。
自分がいなくなることでこんなにも悲しんでくれる素敵な人たちがいることを、自分がどれだけ恵まれているのかを言葉が浮かんでくる前に感じた。
それは、幼稚園生以来の声も抑えられない涙という形で溢れ出た。

止まったように思えた時間も進んでいることに気づいた時、急いでみんなで写真を撮りバスに走った。

大荷物と一年に一回持って帰るシューズを二つ手で持って、1分前に自分の乗るバスがわからず一心不乱に走るやつはこの学校の歴史にもそういないだろう。しかもどういうわけかついさっきまで泣いていたように目が赤い。

やっと見つけたバスの扉はもう閉まっていたが運転手さんが開けてくれた。そして荷物がデカすぎて自分の座る席に収まらないからどうしようと思っていたら、一番前の二人席が会いていて運転手さんが”ここ座れい!”と言ってくれ、余裕を持って座れた。

流れ続ける景色の方を向いている俺の顔は、一片の曇りもない清々しい笑みを浮かべていただろう。

あと3年も毎日乗るのかと思っていたフェリーも最後かも。なんて思っていた。かもしれない。

身体に稲妻が

制服姿で乗るのは最後かもしれないフェリーの中、休学の2ヶ月間何をしようか思い始める。(全く決めていなかった)

ふと、以前InstagramでDMを送った環境問題中心の活動をされている方を思い出し、今度はなにかコミュニティに入っているのか聞いてみた。

どうやらちょうど4月から0期が始まるコミュニティがあるらしい。色々と情報を見せてくれたが身体に稲妻が走るような衝撃を受けた。もう絶対入ると思っていた。
さらに今度は笑っちゃうような衝撃が。
そのコミュニティの運営メンバーの1人に、私と同じ島に住んでいる人がいたのだ。しかも今家にあるソファをくれた人だった。もう稲妻通り越して笑っちゃう。

そのコミュニティがPeace Culture Academy PCAだ。
PCAは世界のどこにいてもより良い未来を創造できるピースリーダーの育成を目的としたオンラインスクール。半年間で全6回のプログラム+任意のプログラムを受ける。

朋有り遠方より来たる


PCAの第1回プログラムでは、以前漢文の先生が紹介していた孔子の言葉を思い出しました。

「朋有り遠方より来たる、また楽しからずや」

同じ志をもつ友達が遠くからでもやってきて一緒に学ぶ。 なんと楽しいことだろう。 という意味です。
初めて孔子に共感した、と思うぐらいPCAは自分に合っているものであり必要としていたものでした。
だいぶ先回りして理想を見たような感覚?

舵取りは自己理解から

PCAで最も得て良かったものは自分の内を観察する習慣です。ガンディーも"社会で見たい変化に自分自身がなれ"という意味の"Be the Change"という言葉を残していますが、PCAのコンセプトは
「自分自身を知り、世界を変える」
だったので、プログラムを受けているうちに自己理解と自分の心で何が起きているかの観察が進みました。

それによって、その後の自分の進む方向を決める舵取りの仕方にも慣れていきます。


第2章のもうひとつの種

休学期間ではもうひとつ、その後に繋がる種がまかれました。
私はまだ迷っていました。学校に戻るか通信制に転学するか。(今思うと本当に優柔不断…)

そんな時、私の住んでいる島に立命館アジア太平洋大学(APU)の生徒が3人やってきました。3人と私には共通の知り合いがいて、その人から"尖ってる大学生が来るよ。会ってみる?"なんて連絡が来たものだから迷わず行きました。大学生も時間をとってくれました。

圧倒的な劣等感

「なんのために生きてる?」

初対面でそう聞かれた。というのはその後の関係をよく表しているエピソードだろう。この3人とは今でも縁が繋がっていて3人とも大恩人だ。

話していくと、自分と3人の違いはとにかく「個」が強くはっきりしていることだと分かった。何かしらの想いがあり即行動している。

けれど決定的に自分が変わるには全然時間が足りなくて。
まだ話したいと思ったら連絡してと言ってくれたから、彼らが泊まるところまでチャリで向かった。雨が降ったけど祈ったら止んでくれた。強烈な恐怖とワクワクで心臓はいつもより強く音を鳴らしていたかもしれない。

そのまま同じ場所で夜を明かしたわけだけど、その時の私は自分に自信もなく、かといってそれを繕う社交性もなく。とにかくその夜は人生で1番劣等感を味わった。圧倒的な劣等感だ。
幸いだったのは一年前からの瞑想とPCAでの内面の観察によって、劣等感をプラスの方向に使えたこと。自己否定に陥らずには済んだ。

第2章閉幕

第2章では、学校を2ヶ月休学してPCAとAPUと繋がれました。
第3章以降ではここでの縁が大きく関わることになります。




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