第3章 人類みんな家族
第1章でおぼろげに世界平和という目的地が定まったことで現在地が航路から外れていることに気がつきます。
それによって第二章では学校を二ヶ月休学し、その間にオンラインコミュニティPCAと立命館アジア太平洋大学の生徒3人に出会いました。
第三章では休学期間で悩みに悩んだその後の進路にケリをつけ、現在に繋がっている”決定的な”体験をします。
ついに大きく舵を切る
ほんっとうに優柔不断だった私だけどようやく
「全日制高校を退学し、ゼロ高等学院に転学する」と決断した。
退学手続きのために本当に最後となる、学校へ向かう。
クラスのみんなに転学することに決めたと、全然理論になっていない拙い言葉で話した。そして休学期間に練習していたギターを持ち出し、みんなで最後に歌いたいと切り出した。
気づいたらクラス外の友達まで集まってきてプチLIVEみたいになっていた。
今でこそ学校をやめることにしたけど、この学校とこのクラスは目的地を定めるまで私を大きく大きく成長させてくれた。私が抜けることでクラスメイトはものすごく泣いてくれたが、逆に言うとこのクラスで1年間過ごしていなければ学校をやめる決断には至っていなかった。本当に感謝している。本当に人に恵まれた。
大きな決断で得たもの
私は本当に優柔不断でギリギリまで悩んだけど、それまでで一番悩んだことで決断の仕方を学べた。
理詰めでどっちを選んでも50対50だと気づき決断できなかった私は最終的にコインを投げて決めたのだ。
これは運に自分の進路を決めてもらうわけではなく、自分が心の奥底で本当はどちらを選んでいるかをコインに示してもらうためのものだ。というのは、出たコインの結果に納得したらそっちを選び、納得しなかったら出なかった方を選ぶ、という方法。
そして多くの人に相談したことで、結局どちらの選択肢が正解なのかではなく、「選んだ方を正解にする」だなと学んだ。
学校をやめたことで、今まではある程度レールに乗っかっていればなんとかなっていたけど、”これからは全部自分で決めることになるんだ”と実感しながら家に帰った。
人生第2章が始まる
学校をやめてどうなるのか全く決めていなかったけど休学期間で繋がった縁が勝手に私の物語を進めてくれる。
休学期間に島に来てくれたAPUの生徒3人のうちの一人は東京のベンチャー企業にも参画しているという人で、インターンシップというかたちで二週間私を東京に連れてってくれることになった。そう決まったのは退学手続きに学校に行った日のなんと二日後。
東京での暮らしでは毎日ベンチャー企業の様子を目の当たりにした。相変わらず圧倒的な劣等感を味わっていたけど心の情熱にガソリンを注ぎ続けるには最高の環境だった。
「頭に爆弾つけといた」
東京にいる間に、第1章で登場したあのお寺の和尚さんの紹介でピアニスト・作曲家の林晶彦さんに会いに行った。
林さんは中二で学校を退学し、1年間毎日13時間ピアノを弾き実力を上げてフランスに行ったというなかなか面白い生き方の人。「言葉じゃ表現できんねん。音楽だったら表現できるかもしれん。」なんて言うから本物のアーティストだと感じた。
この方が私の今後に大きく影響を及ぼします。話の中で繰り返された話題が二つあり、それが「弘法大師空海」と「シンクロニシティ」について。
その時はよくわからなかったが、何度も私が弘法大師空海の幼少期に似ていると言われたのだ。林さん自身も、空海が残した言葉である「永遠への飛翔」というタイトルでピアノコンサートをしている。
そして林さんも林さんを紹介してくれたお寺の和尚さんも信じられないような奇跡のエピソードをたくさん持っていて、それをシンクロニシティと言うと聞いた。そしてシンクロニシティを起こす人は”願いはあるけど欲がない”。言い換えると”自分のためではなく人のために動いている”とのことだった。
シンクロニシティの話の最後に「頭に爆弾つけといたから、この後それが爆発するよ」と言われた。どうやらシンクロニシティが起こるという意味だったらしい。
この意味は東京から帰る時にわかることとなる。
東京から帰るときに爆弾が爆発する
私を東京に連れてってくれたAPU生が帰りの飛行機のチケットを取ろうとしてくれていたとき、私は何を思ったのか広島ではなく関西空港行きにしてもらった。そう、林さんに言われたことが気がかりで弘法大師空海の高野山に行きたくなっていたのだ。
目黒から成田空港に向かう時に事件は起きる。成田空港発の飛行機は朝7時前に出発で、前日の夜中に成田空港に着いていなければ間に合わなかったため、夜に成田に向かった。その成田空港までの最後の一つの電車を間違え、もう11時過ぎだったから電車もバスも残っていなかった。成田空港まではあと30km。さあどうする??
タクシーはあったけど所持金は14,000円で、タクシーだと5,000〜10,000円ぐらいすると言われたので私は歩くことにした。たかが4時間歩くだけだと舐めていたが、背中には10kgの荷物を背負っていたこともあって弱音を吐き始めるのは早かった。”ヒッチハイク”の6文字が脳裏に浮かび始めるが、勇気が出なくて手をあげることすらできず。
でも3時間ぐらい歩くともう体力の限界で勇気が出ないとか言ってられてなくなり。夜中だから車の通りも少なくなり。絶望と疲労に包まれ千鳥足の私の眼前には赤信号で止まる一台の車が。力を振り絞って車に駆け寄り、窓をコンコンして。初めてのヒッチハイクを経験した。深夜2時だった。
今思うと勇気が出ない自分のために半強制的に用意されたのかもとも思う。
空港に着いても事件は続く。
チケットの手続きをしようとすると、チケットの名義が違うため乗れません。この便に乗りたければこの場で9,000円払いやがれと言われたのだ。(口調は誇張済み)なんと東京へ連れてってくれたAPU生は来るときは間違っていなかったのに、帰るときは名義を間違ってとってくれていたのだ。そして充電器をインターン先に忘れた私は四千円払って充電器を買っていた。つまりこの時所持金は1万円。ここで9,000円払ってしまうと残りは1,000円。関空から高野山までどうやって行けと??? という状態に陥っていたが乗らないと話にならないので飛行機には乗った。飛行機の中では絶望一色で何をしていたか覚えていない。
飛行機を降りるとまさかの雨。気分もザーザー。傘を買って所持金は150円ほど。アホでしかない。けど高野山での宿は両親がとってくれていて、17時までにチェックインしなければいけなかった。
初ヒッチハイクは経験していたから自然とそれが浮かぶ。ヒッチハイクしかない!と。東京で買ったallbirdsの紙袋を破って細いボールペンで”高野山”と書いて掲げた。けど雨降ってるわ傘さしてるわ文字細いわでそりゃ誰も止まってくれません。
「これ止まってる車に声かけないとだめだな」と気づき。デイリーヤマザキでまた勇気が出ず20分ぐらい時間を浪費して。やっと声をかけられた人が”途中までだったらいいよ”と言ってくれて乗せてくれることになった。あまり感情が大きく反応しない私は、久しぶりにこんなに喜んだ。喜んだし安堵で涙もちらつきそうだった。
途中までという話だったけど気づいたら高野山の近くまで来ていて、え、ってなって聞くと「もうここまで来たら」とそのまま高野山の宿の目の前で下ろしてくれた。
そして「君の将来に投資するよ」と言って一万円までくれた。もう泣いていたかもしれない。
私は知らなかったのだが、高野山は参拝料とかで何かとお金がかかり所持金ゼロでは回れなかった。乗せてくれた方は知っていたようだ。
その後、高野山まで駆けつけてくれた家族と合流し、伊勢神宮や丹生都比売神社を含む様々な神社を巡って感謝を告げた。
人類みんな家族。全てに意味がある
この一連の出来事は自分に自信がなく人が好きでもなかった私に縁と運の重要性を、人類みんな家族だということを教えてくれた。世界平和にはその感覚がまず必要なのだろう。林さんが言っていた爆弾とはこのことだった。
第3章閉幕
世界平和までの大きな一歩を進んだところで第3章閉幕です。
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