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【1秒の世界】思えば私たちの評価方法はいつも質ではなく数だ
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GDPに代わる指標が見つからない。
「GDPに代わる国の豊かさを指標を!」
と、何年も叫ばれているが、見つからない。
だからか。
経済成長無でも、国が豊かになるのかどうか、分からない(判らない/解らない)。
「知性の限界」
と言うべきか・・・
私たちは、
「数」
で
「質」
を
「評価する方法」
しか持たず、また、
「民主主義社会」
においては、
「分かりやすい数値」
で
「大衆の心」
をつかむしかないのだから、世代が変わっても、やっぱり、
「経済成長」
を、目指してしまうのだろうか?
「経済成長の日本史―古代から近世の超長期GDP推計 730-1874―」高島正憲(著)
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「「経済成長」の起源 豊かな国、停滞する国、貧しい国」マーク・コヤマ/ジャレド・ルービン(著)秋山勝(訳)
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「経済成長がすべてか? デモクラシーが人文学を必要とする理由」マーサ・C.ヌスバウム(著)小沢自然/小野正嗣(訳)
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「大衆とは良い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分はすべての人と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである。」(「大衆の反逆」(岩波文庫)オルテガ・イ・ガセット(著)佐々木孝(訳)より)
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「多数決の原理」
を持った
「民主主義」
は、
「独裁者の圧政」
から人々を解放した点では、優れた制度だった。
でも、
「数のルール」
に従い、
「周囲に合わせる」
必要性から、なんの
「美学」
や
「道徳律」
も持たない
「大衆」
を生み出したのではないだろうか?
そして、困ったことに、
「民主主義」
における
「大衆」
は、
「数」
を
「質」
に変える
「決定権」
を握っている悪夢。
「人の弱さ」
に寄り添い、壊れ始めた
「Google」
しかり、更に、
「知を解放する装置」
として期待された
「ネットの世界」
は、Facebook等のSNSの登場あたりから、偏重をきたし、
「大衆の視野」
を狭める、やっかいな存在になってしまった。
もはや、
「マーガレット・サッチャー 政治を変えた「鉄の女」」(新潮選書)冨田浩司(著)
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のような信念を持った政治家は、現れないのかもしれない。
▶サッチャー名言集
「私は意見の一致を求める政治家ではない。信念の政治家だ。」
「私はコンセンサスといものはさほど重要なものであると思いません。あれは時間の浪費の原因のようなものですから。」
「意見の一致には危険がひそむ。何についても特定の意見をもたない人々を満足させようと試みることになりかねない。」
思えば、私たちの
「評価方法」
は、いつも
「質」
ではなく
「数」
だった・・・
「学術論文の価値」
は、どれだけ、他の学者に引用されたかで決まるし、
「Googleの検索結果」
は、被リンク数で、ランクが上下する同じ仕組みである。
ケインズの指摘したとおり、株式投資も
「美人投票」
のようなものである。
その一例を詳しく紹介すると、
「生態系の保護」
を訴えるキーワード
「生物多様性」
も
「数」
と
「質」
の混同が起きている。
ユクスキュルが
「環世界”Umwelt”」
【科学エッセイ】ユクスキュルの環世界
という概念で指摘したように、私たちが、
「客観的に分析したと信じている世界像」
は、世界全体から
「主観的に一部分を型抜きしたもの」
にすぎない。
だから、生態系の保護に価値がある、という、その
「価値」
とは、意識せずとも
「人間にとって価値があるもの」
になっているのである。
さらに生物学的には、
①全ての生物がどこかで繋がり地球の生態系を維持
②ごく少数の生物が地球の生態系を維持し後の種はオマケ
のどちらが正しいのか、はっきりしないが、
「質」
や
「かけがえなのなさ」
を判断できない私たちは、前者を前提に
「数」
の維持を訴えることしかできないことから、これまでと同様
「質」
ではなく
「数」
が世界を動かすだろうと思われる。
でも、個々人の人生においては、大衆の動向に迎合せず、数をこなせば、質に繋がって行くものと、そうでないものを、見極めて行きたい。