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【LAWドキュメント72時間】月は太陽の夢である

ヨーロッパから広がったロマン主義。

ロマン派詩人であるノヴァーリス作の未完の小説「青い花」。

「青い花」(岩波文庫)ノヴァーリス(著)青山隆夫(訳)

ノヴァーリスの

「月が太陽の夢」

であると称した感覚が素敵ですね(^^♪

「夜が光に触れ、光が夜に触れてこなごなに飛び散ると、いっそう微妙な影と色彩があたりにただよう。」(P31)

「自然というものは、だれかひとりに独占されることを好まず、いったんひとりの所有に帰したかに見えると、たちまち毒物と化してしまいます。」(P108)

「月がおだやかな光をはなって丘の上空にかかり、生きとし生けるものの心に奇妙な夢を思い描かせた。

まるで自分も太陽のみる夢のように、この沈み込んだ夢の世界を見下ろし、無数の境界に分かれた自然を、あのおとぎ話の太古の時代へつれもどしたのだ。」(P121)

「人間の歴史を十分に認識する感覚は、年をとってようやく身につくもので、目の前でくりひろげられるものの生々しい印象からよりも、むしろ思い出の穏やかな働きから生まれてくるものです。」(P131)

「愛とは、人間という謎にみちた独特の存在が、ふしぎに融け合っていくことなのだね。」(P194)

残念なのは、ノヴァーリスが、執筆中に若くして亡くなってしまったため、結局、何の小説だったのか・・・、よく分からない点。

<参考図書>
「夜の讃歌・サイスの弟子たち 他一篇」(岩波文庫)ノヴァーリス(著)今泉文子(訳)


■月は「古」と「今」を結びつける存在

紀貫之による『古今集』の「仮名序」は、

「歌の様を知り、事の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて、今を恋ひざらめるかも」

という言葉で結ばれています。

『古今集』の編纂意図についての説明として読めるとのことですが、それを越えた意味も含まれているそうです。

《歌の趣を知り、事の本質を会得できた人は、大空の月を見るように、いにしえを仰ぎ見て、今を恋い慕わずにはいられないのだろう》。

「月」は、過ぎ去った過去である。

一方、その過去があってこそ、今を恋い慕うことができる。

つまり、過ぎ去った過去と、

「今」

を結びつけるものでもあると。

だからでしょうか。

貫之の末期の目に映ったのも、月でした。

そして、辞世の歌に詠んだ月の影は、過ぎ去った人生の日々も、世の中そのものも、浮かび上がらせました。

手にむすぶ水にやどれる月影のあるかなきかの世にこそありけれ (拾遺集、哀傷・1322)

《手に掬った水にかすかに映っている月影には、見えずに結ばれている、あるかないかの、人の世も、我が人生も、見えてきたのだ》

水に映る月は、「水兎の偽借」(水面に浮かぶ月の虚像)という、仏教の教えに使われた世の中の喩えに言及しています。

しかし、貫之の歌においては、日本語でしか、表現できないものとなっています。

「むすぶ」は「結ぶ」と「掬う」という二つの異なる意味を担い、「水 (みつ)」という歌ことばも、また、中国語など他の言語では表せない、日本語ならではの意味合いを持っています。

音を通して「見ず」と響き合い、文字を通して、その正反対の「見つ(見た)」を連想する。

だから、水面が揺れると、見えたり見えなかったりする月影の映像は、目からも耳からも、リアルに伝わってきて、「あるかなきか」の命の儚さをしみじみと心に沁みこませていますね。

内容と表現は見事にとけあい、完全な調和をなすわけです。

貫之の辞世が示しているように、「月の影」は、「月」の他のどの表現よりも、よく古代びとの存在論をあらわしていると考えられます、ね(^^)


■西行「山家集」の月恋歌

日本の文化・精神史における転換点にいた西行。

西行の和歌といえば「桜」だけではありません。

ふと空を見上げれば、新月(31日)に近づく月を慕って。

西行「山家集」の月恋歌から10首(山家集の恋の章に、月の歌が37首並ぶ)紹介しておきます、ね(^^)

ともすれば 月すむ空に あくがるる
心の果てを 知るよしもがな

おもかげの 忘らるまじき 別れかな
名残りを人の 月にとどめて

思ひ出づる ことはいつとも いひながら
月にはたへぬ 心なりけり

恋しさや 思ひよわると ながむれば
いとど心を くだく月影

よもすがら 月を見顔に もてなして
心の闇に まよふ頃かな

あはれとも 見る人あらば 思ひなん
月のおもてに やどる心

なげけとて 月やはものを 思はする
かこち顔なる わが涙かな

世々ふとも 忘れがたみの 思ひ出は
たもとに月の 宿るばかりか

ながむるに なぐさむことは なけれども
月を友にて あかす頃かな

君にいかで 月にあらそふ ほどばかり
めぐり逢ひつつ 影を並べん

なぜ太陽ではなく月なのか?

アポロンからアマテラスまで、神話では、太陽が絶対的な存在でした。

それなのに、「恋」に関しては、どうしても、「月」でなければダメなんだろうね。

私たちは、自分自身さえも、正しく理解できない生き物です。

だから、他者の瞳の奥にある自己像に、意味を見出そうとするのでしょう、ね。

そして、最も重要なのが、「愛する人」が投げ返してくれる「自己像」だったと、そう感じられます。

だから、恋は、太陽によって照らされる月的な感情と、言えるのではないでしょうか。


■宮沢賢治「月の歌」

時代は下って、賢治の作品を調べてみると、月にまつわる童話や詩、短歌がたくさん残されていることを知りました。

賢治は、月を、「月天子」と呼び、なかば信仰に近いものもあったようです。

また、「雨ニモマケズ」が書かれた手帳の中にも、こんなことが書き残されていたそうです。

人とは人のからだのことであると
さういふならば誤りであるやうに

さりとて人はからだと心であるといふならば
これも誤りであるやうに

さりとて人は心であるといふならば
また誤りであるやうに

しかればわたくしが月を月天子と称するとも
これは単なる擬人でない

また、童話「かしはばやしの夜」では、

桃色の月が昇り、物語がはじまる
月が水色の着物に着替える
月が青く透き通ってあたりが湖の底のようになる
月が青白い霧に隠される
という月の情景に合わせて物語が展開していく。
色彩豊かな月は鉱物学に通じていたという賢治ならではだろうか。

最後に、短歌集から月にまつわるすべての歌をピックアップしてみました。

なんだか、怪しい月が多いけど(^^;

賢治の共感覚を感じてみてください。

桃青の 夏草の碑は みな月の
青き反射の なかにねむりき

あはれ見よ 月光うつる 山の雪は
若き貴人の 死蝋に似ずや

鉛などと かしてふくむ 月光の 
重きにひたる 墓山の木々

かたはなる 月ほの青く のぼるとき
からすはさめて あやしみ啼けり

きら星の またゝきに降る 霜のかけら
墓の石石は 月光に照り

われひとり ねむられずねむられず まよなかに
窓にかゝるは 赭焦げの月

ゆがみひがみ 窓にかかれる 赭こげの月
われひとりねむらず げにものがなし

地に倒れ かくもなげくを こころなく
ひためぐり行くか しろがねの月

しろあとの 四っ角山に つめ草の
はなは枯れたり しろがねの月

いざよひの 月はつめたき くだものの
匂をはなち あらはれにけり

しづみたる 月の光は のこれども
踊のむれの もはやかなしき

にげ帰る 鹿のまなこの 燐光と
なかばは黒き 五日の月と

弦月の 露台にきたり かなしみを
すべて去らんと ねがひたりしも

ことさらに 鉛をとかし ふくみたる
月光のなかに またいのるなり

さわやかに 半月かゝる 薄明の
秩父の峡の かへりみちかな

かくてまた 冬となるべき よるのそら
漂ふ霧に ふれる月光

何もかも やめてしまへと 弦月の
空にむかへば 落ちきたる霧

弦月の そつとはきたる 薄霧を
むしやくしやしつゝ 過ぎ行きにけり

しろがねの 月はうつりぬ フィーマスの
野のたまり水 荷馬車のわだち

黄葉落ちて 象牙細工の 白樺は
まひるの月を いたゞけるかな

くろひのき 月光澱む 雲きれに
うかがひよりて 何か企つ

うすらなく 月光瓦斯の なかにして
ひのきは枝の 雪をはらへり

のべられし 昆布の中に 大なる
釜らしきもの 月にひかれり

月光の すこし暗めば こゝろ急く
硫黄のにほひ みちにこめたり

うす月に かゞやきいでし 踊り子の
異形を見れば こゝろ泣かゆも

うす月に むらがり踊る 剣舞の
異形のきらめき こゝろ乱れぬ

わかものの 青仮面の下に つくといき
ふかみ行く夜を いでし弦月

きれぎれに 雨をともなひ 吹く風に
うす月みちて 虫のなくなり

月弱く さだかならねど 縮れ雲
ひたすら北に 飛びてあるらし

しろがねの 月にむかへば わがまなこ
雲なきそらに 雲をうたがふ

そら高く しろがねの月 かゝれるを
わが目かなしき 雲を見るかな

聞けよまた 月はかたりぬ やさしくも
アンデルセンの 月はかたりぬ

みなそこの 黒き藻はみな 月光に
あやしき腕を さしのぶるなり

あかつきの 琥珀ひかれば しらしらと
アンデルセンの 月はしづみぬ

みがかれし 空はわびしく 濁るかな
三日月幻師 あけがたとなり

三日月よ 幻師のころも ぬぎすてて
さやかにかかる あかつきのそら

ありあけの 月はのこれど 松むらの
そよぎ爽かに 日は出でんとす

月あかり まひるの中に 入り来るは
馬酔木の花の さけるなりけり

あぜみ咲き まひるのなかの 月あかり
これはあるべき ことにはあらねど


■古代日本人にとっては月が特別な存在だった

現代日本人も、その名残が、のこっているからでしょうか。

おそらく、他のどの民族よりも、月を愛でているのではないかと推定される、その理由のひとつ。

それは、日本の湿度が高いため、月が、ほのかにかすんで見えるからだと、言われています。

この朧月が、しかじみと、心に沁み入る。

だからなんでしょうね・・・

古代びとは、その姿を、自分の涙と、結びつけていました。

「月影は恋の涙にくもりつゝ見る我からやおぼろなるらん」《月影は、私が恋の涙に曇った目で見るので、おぼろになるのだろうか》(殿上蔵人歌合・時信・25)

など、数多くの歌には、

「月がおぼろに見えるのは、空が曇っているからだろうか、見る人の目が曇っているからだろうか」

と詠んでいましたね。

他方、こうした涙ぐんだ朧月があるからこそ、隅なく清い光を放つ名月の喜びが、大きかったのではないでしょうか。

「あかあかや あかあかあかや あかあかや あかやあかあか あかあかや月」

という感銘の声、そのものを響かせた明恵上人の歌にあるように、

「月」

は、悟りの瞬間でもあったようです(^^♪

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