傲慢な優しさ


自己犠牲的な優しさって
すごく傲慢さを感じる。

ぱっと見とても「人のために動く人」だし
無償の愛にも思えるけど
本質はちがう。

相手に何かを " してあげたい "
と思って行動をした時、

自分が相手にしてあげた " こと "

その " こと "   をキッカケに
相手の中の何かが変わることに
期待しているのなら
それはただのエゴ。

優しさではない。

自分が相手を変えたいと思っているということは
自分には相手を変えられる力があると思っている。

自分のことを過信している。

お前は何様だ。

その時点で、相手のことを
自分よりも下の人間だと感じている。

上から目線な発言行動は必ず相手に伝わる。

無意識下で伝わっている。

だから相手は変わらない。

自分を過信した
傲慢な優しさを振りかざすお前じゃ
人を変えることなど出来ない。

「相手のため」だと口では言うが
相手を、" 自分の望む相手に変えたい " だけ。

相手のことを
コントロールしたいだけ。

そんなに操縦したいならパイロットにでもなれ。

勉強しろ。

世の中のためにエゴを正しい方向に正しく使え。

己のエゴを操縦できない者に
誰かを操縦する資格はない。

自分は二の次で相手のために尽くして
尽くし疲れた頃に
相手が自分の理想の相手に変わっていなければ
激怒し嘆くのだろう。

「自分はこんなに相手のために尽くしたのに」

いつ相手が「尽くしてくれ」と頼んだのだ。

いつ相手が「変わりたい」と願ったのだ。


変わりたいと願っていない人間を
変えようとするのは
些か傲慢がすぎる。

相手に変わってほしくて何かをしているのなら
それを相手が望んでいないのであれば
それはただの押し付け。

一方通行な押し付け。

時にそれは相手にとって
嫌がらせにすらなってしまう
優しさというエゴを纏った「嫌がらせ」。

そりゃあ相手に尽くせば尽くすほど
相手からも嫌がらせのような言動が返ってくるさ。

自分が先に相手に嫌がらせしているんだから。


「見返りを求めていない」
「尽くしたいだけ」
本当にそう思っているのなら
相手が望む事だけ提供しておけばいいのだから。

なぜ「相手がこうなった方が相手の今後のため」
などと勝手に相手の未来のために動くのだ。

大切な相手なら
幸せになってほしい相手なら、
自分の中の正解を押し付けるな。

勝手に押し付けておいて
そのせいで自分が苦しいのを
相手のせいにするな。

とんだとばっちりだよ、相手。

例えその相手がどんなクズ人間だったとしても

相手がクズのまま生きていたいのなら
その相手の意思を尊重してあげるのが
本当の優しさ。

相手のクズさを
「変えてあげたい」と願ってしまったのなら
その相手から離れてあげること。

離れることで、自分を省りみる時間をあげること。

変わってほしいなら
1人で考える時間をあげな。

自由にしてあげな。

相手にとって自分が本当に大切な存在だったなら
離れた結果、変わるも変わらないも
相手次第。

人が変わる時って
「変わりたいと自ら強く望んだ」時と
「変わらなきゃ進めなくなった」時くらい。

どれだけ外野が口を出そうとも
環境を変えようとも
変われるかどうかは本人次第。

" 相手の幸せのため "

そんな優しさは
ただの傲慢さ。

本音を言えよ。

「自分が幸せなるために、相手を自分色に変えたい」

そんなもんさ。


相手が自分に向き合ってくれないのは

自分が自分と向き合いきれてないから。


人に尽くしてしまうのは
自分が自分に尽くしてあげれていないから。

相手に変わってほしいと思うのは
自分が自分を変えたいと願っているからだよ。

馬鹿ばっかりだと嘆いているのは
いつの時代も馬鹿だけだ。

賢い人は、馬鹿からだって学ぶから。

自分と向き合え。
自分とことん向き合って
そして自分で自分のことを幸せにしてあげろ。

世界一愛してやれ。

どんな時もそばにいてくれているのは
自分ただひとりしかいないことを忘れるな。

誰よりも労わってやれ。

慰めてやれ。


そうして気づいた時には
本当の意味での優しさを
周りにお裾分けしているものだ。


優しさなんてのは

お裾分けするもんだよな。

与えたんだから返せよ、なんてのは
奪う側の傲慢な嫌がらせ。




  




いいなと思ったら応援しよう!

バヴみき
いただいたサポートは楽曲制作の為に使用したり思い出のモノへと変換し、素敵な思い出をたくさん作っていきたい所存です( ˘ω˘ )♡