願掛けのおはなし


ちょっと急いでて
急いでるのに書き残しておきたくなって
脳内羅列放置公開退散しますので
ひたすらに読みづらい文字の集合記事です。

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毎度、私ごとの話だけど
アクセサリーって持っていても
気づいたらぜんぜん身につけなくなってしまう。

理由はいろいろあるけど

そもそも汗かきだから
アクセサリーに汗が着くのがなんかすごく嫌。
そしてその時の自分の感覚もすごく嫌。

首とか耳とか腕にアクセサリー付けていると
なんか無意識に拘束されている気分になって
すごく窮屈な感覚になるから
気づいたら外してしまっている。

単純に「しゃらくせー!」笑

五万くらいする純金のネックレスを
買ってもらって(自分で買えや)
願掛けというか、
お守りとして
毎日身に付けていた時期もあったけど
それを身につけている時に
「自分にとっての悪いこと」が起こると
ネックレスを疑うようになってしまっていって
だんだんと
「気持ちをプラスにしてくれるための願掛け」
から
「マイナスを引き寄せる物質」
という認識になってしまっていて
「しゃらくせー!」
と手放してしまったこともある。

パワーストーンとかもそうだけど
わたしは
「これがあるからいい事が起こった」
とプラスに思えない側の人間なんだと思う。

そもそも
いい事が起こったときは
周りのおかげさま。

悪い事が起こったときは
自分の未熟さ。

自分の未熟さを洗いざらい並べる作業の中に
意図せず「未熟な自分が選んだ未熟な物質」
にも注目してしまい
自分にとって悪いと感じることが起こったあと
自分の未熟さを改善したり手放して
もっと自分にとっての良いことを引き寄せたい
と思う時に
自分の身の周りの持ち物を一掃するのが
わたしのルーティンであり
願掛けに値する行為なんだと気づいた。


だからこそ
定期的に、長くても3〜5年持っている持ち物
洋服・アクセサリー・文具…etc
はだいたい手放す作業をしてしまう。

長くても5年。

5年前の購入当時の私と
5年後の今の私は
価値観も考え方も生活も仕事も
何もかもが変化していて
別人のような認識で生きているし
極端に言えば
昨日のわたしと
今日のわたしさえ
何もかもが変化していたりするから。

持ち物にしっくりこなくなる頻度がとても早い。

自分の変化と一緒に
自分が抱えている持ち物、物質も
変化させなければ
気持ち悪くて仕方がない。


ということで
洋服を買うとき
ネットで買ったりはせず
私はあくまでも
「店舗で店員さんと雑談しながら決める」
ことを徹底している。

その理由は単純に
一期一会のご縁で繋がった店員さんと
会話をすることが楽しいから。

でも、絶対に譲れないポイントがあって。

ご縁あって、ふらっと入った店舗で
ご縁あって、たまたま会話をしている店員さん

このご縁が自分にとって
良いご縁なのか、悪いご縁なのか
それによって
ここで購入した洋服の纏う運気が
180度変わってしまうと思っている。

だから
店員さんと雑談をする中で
自分が「心地いい」「楽しい」「幸せ空間」
というナチュラル元気な心に傾いていたら
その店舗のその店員さんから洋服を買う
と決めている。

ここでこの人から買う
と決めたら
その人が提案してくれた、
自分の想定の範囲外の洋服も買う
ことにしている。

そういう時の洋服って
その時点での自分との波長が
とてもいい。

それが私にとっての願掛け行為であり
願掛けになるプラスの持ち物になる。

洋服を買う

それは私にとっての
1番の大切な時間。

過去の自分から物質的な観点からも
切り離されて未来へ向かう作業。

わたしの価値観は
何を所持するかではなく
「何を所持しないか」が重要で。

何をするかではなく
「何をしないか」が重要で。

しっくりこないものを所持できないし
不快になることをしたくない。



洋服のお支払いをする時は
「この店舗とこの店員さんから
素敵な運気を買わせていただいた」
とお値段以上の価値だけを純粋に感じれることを
大切にしている。

お値段以上の価値を感じれないなら
どんなにそれが今欲しい服でも気に入ってても
買わずに店を出る。

そういう気持ちになれない店舗・店員さんから
買った服は
あくまでも私の感覚的には
私に似合わないし
私を物質的にも感覚的にも重くする。

人生を後ろ側、下側へ引っ張られる。

引っ張られる物質を購入したくない、
身につけたくない、
自分の世界に置いておけない。

この物質が
わたしを前側へ、上へ、未来へ
手を引いて連れて行ってくれると感じたら
迎え入れる。

そうやって物を循環させていく行為こそが
わたしにとっての「願掛け」
その行為の中で迎え入れた物が
その時の私にとっての「お守り」。


そんなことを
昨日ともだちと話していて
気づかせてもらった。

ともだちはまた全然違う願掛けやお守りの捉え方をしていて、なんなら私とは対照的なんだけど
それがとても心地いい。おもしろい。

違う視点をもらえて
自分の視点がはっきりする。

ともだちもまた然りなんだと思う。

そうやって違いを楽しみあえる時間が
なによりの宝物だとおもったのであった。

そしてこの文である。

羅列。




p.s

人からプレゼントしてもらったものとか
親やおばあちゃんとかがくれたものとかは
別ベクトル別軸のお話です。

これはあくまでも
「自分が選んで自分が手にした物」
への価値観です。



p.sのp.s

わたしの誕生石は確かダイヤモンドだったと思うんだけど、なんか、ふとこの前思ったんだ

私自身が磨けばどんどん光る原石で
これからもっと磨いて磨いて
ダイヤモンドより光るんだから
私そのものがダイヤモンドなんだから
「ダイヤモンドがダイヤモンド身につけてたら
なんか変じゃね?」

ダイヤ オンザ ダイヤ

No

ダイヤ オブ ダイヤ(?)

宝石が宝石を纏う必要はない。ピカーン



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