スーツを着るということ。
今日、スーツを着た。
スーツを着て、電車に乗ってインターンシップへと向かった。
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私は現在、大学3回生の夏休みを迎えておりサークルにバイトに課題にと
やらないといけないことがそこそこあるような日常を送っている。
そんな中、新たなタスクとして私のスケジュールに飛び込んできたのが就職活動でありインターンシップである。
今まで数社のインターンシップに参加したのだが、スーツ指定のインターンは今回が初めてだった。
何か月ぶりのスーツだったろうか。今年の3月に母校の定期演奏会の手伝いで着た以来かもしれない。
そして久々にスーツに身を包んで思ってしまった。
「自分もこうやって社会に迎合していくんだ」
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私はスーツを着るということが、社会の荒波に飛び込んでいく準備に思えてならない。
個性をゼロにして全員が同じ格好をし、外見での判断でなく内面を見てもらうために必要最低限しなくてはならない準備。
これから社会の歯車になる人材に求められる正装。
自分という存在を消して回りと同じ格好をする。
それが本当に気持ち悪い。社会になんて、死んでも迎合したくない。
電車の中で同じインターンに行くのであろう、スーツに身を包んだ学生を見て、自分も彼らと同じ土俵に立って評価されるんだと思った瞬間、すべてが嫌になってしまった。
ただ、たまらなく、どうしようもなく、痛い。
そこに私は必要なのか?
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そんなどうしようもない感情を突拍子もなく抱いてしまう人間はインターンシップを真正面から受け止められるはずがない。
ビジネスモデルを披露されても、結局その歯車になるんだなって思うし、働くことに対して全くワクワクしないからそんな綺麗事並べられてもな、なんて思ってしまう。
ビジネスモデルの根本にあるのは、どこよりも利益が欲しい!っていう本音なのではないだろうか。
それを綺麗な言葉に言い換えた経営理念を聞いて会社の理解を深める。
本当に理解が深まったのか?
今日の収穫は一体何だったんだろう。
「就活も、働くことも向いてない」って毎回痛感させられて終わり。
私が今、一生懸命働く場所を探しているのって、何のため?
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そしてふと、自分がスーツを着ていることを思い出す。
「あ、スーツ、着てるんだった。」
どんなに人事部の方の話に疑問が浮かんだって、就活に対して嫌悪感を持ったって、今の自分は彼らの言葉を聞き入れ、社会に迎合することに賛同しているのとおんなじではないか。
本音を包み隠すかのようなヴェールに包まれることが当たり前の社会に。
そして「これにて終了となります」の合図とともに何とも言えない空虚な気持ちを抱えたまま、インターン会場を足早に後にする。
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電車の窓に映る私は、どこからどう見ても、社会に迎合しようと藻掻く一人の学生でしかなかった。
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