記憶をもつ人々

体調を崩したので、これを機に鬼滅の刃を観ていた。
彼らは鬼や人間も必ずといっていいほど、その人物の過去が語られる

その過去から、現在の彼らの行動を規定する価値観が醸成されたことを理解する

霞を食ってそうな霞柱の無一郎くんは、記憶を取り戻す、つまり家族を失ったことの痛みを取り戻した

そして彼は炭治郎の利他性から触発されたその行為に、自らの利他性を取り戻す

確固たる自分を取り戻した彼は強くなった

記憶をもつ人は強い

強く生まれたのは、弱きものを守るため

鬼滅の刃は道徳として機能してるし、相対化することが当たり前になった社会において、この一元的な価値は貴重だと思う。

正しさと豊かさは相反することを僕たちはもっと認識すべきだ。
鬼滅の刃でいうと、鬼は正しさ、鬼殺隊は豊かさを表すだろう

ここでいう正しさは、資本主義を個人主義的にサバイブするという意味である。

自己の有用性を高め、相対的有利を獲得するその自己執着の姿は、永遠の強さという顕著な幼稚性を獲得したがる鬼そのものである

まあ、受験勉強そのものは人々を幸せにしないが、その受験勉強した本人は社会的ステータスを手に入れる。
これは介護職や保育士などの社会に役に立つ職業ほど、賃金が低くなる傾向にも繋がっている

鬼滅の刃が流行ったことは日本もまだ捨てたもんではない。
豊かさの価値観が未だにあり続けているということだろう。
その蓄積は確実に減っていってるけれども



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