としまえん そのいち
今日でとしまえんが閉園だそうです。今、NHKでとしまえんから生中継しています。としまえんのことはほとんど忘れてしまっていたけど、ここ数日、テレビに取り上げられているのを見て、いろいろと思い出しした。
僕は三鷹に住んでいたので、としまえんは中学生・高校生の頃は女の子と行くデートコースの候補には必ず上がる場所だった。といっても、僕はかなり奥手だったので、女の子と二人で「としまえんデート」はないかもしれない。あまり記憶がない。今は話し始めると男女関係なく一日しゃべっているのに、当時は何でそんなにしゃべれなかったのだろうと、本当に残念に思う。当時、ちゃんと喋れる男だったら、人生変わっていただろう。その上、モテていることに全く気が付けない男で、後になって「あの時好きだったと」とか、「好きだっていう相談をされてた」とか、結構聞いたんだけど、みんな「あの時」の話で、すでに終わった話だった。去年飲んでいる中に30歳くらいに結婚まで考えて、ほとんど告白していた女の子がいて、その子が「結婚しようって言われると思って待っていたけど、何も言われず、何年後に別の女と結婚した」と言われたのはさすがにショックだった。その子はまだ独身なので、本当に申し訳ないことをした。最後のひと押しが足りないばかりに、中途半端なまま終わりになってしまっていたようだ。
としまえんの話に戻ろう。最後に行ったのは高校生くらいで、大学生になってからはディズニーランドがデートコースに変わってしまった。やはり夢の国のインパクトは大き過ぎだ。としまえんは、中高の6年間で何度も行っていると思うんだけど、印象に残っているのは3度、最初に行った小学校の高学年の時と中2の夏前と高3の夏休みだと思う。
最初に行ったのは、小学校の高学年頃に隣の家の幼馴染の兄弟と3人で行ったんだと思う。三鷹の北口からバスに乗って保谷だったか、池袋線まで行き、電車で行った。子ども同士で西武池袋線に乗ったことなかったし、バスと乗り継ぐなんて考えられなかった。としまえんまでは、行くまでも冒険、行ってからもジェットコースターで冒険、帰りも少し混んだ電車で冒険だったのだろうな。
2つ目の思い出は中学2年生。近所の親友だった男とその彼女とバレンタインデーに告白された女の子と4人。
中学校1年生のバレンタインデーに、机の中にTとだけイニシャルが書いてあったチョコレートが入っていて、初めての経験でも意味は分かったんだけど、今考えれば恋愛感情がなかったうぶな少年だった僕は、うれしいのかすらよくわからなかった。Tだけでは誰かもわからないし、うれしかったけど、ちょっと不幸な手紙をもらったような怖さもあった。その日、学校帰りに校舎の裏の道を歩いていると、プールを挟んだかなり遠くにある校舎の4階の窓から「バレンタインなんとか!」と同じ卓球部の女の子に叫ばれて、何言っているんだろう?と正直に意味が分からず、もらったチョコレートがその子だということにも気が付かなかった。一緒に歩いていた男友達となんだろう??って、何叫んでるんだろう?って、話しながら帰った。その男友達が誰だったかは全く覚えていない。その叫んだ子は同じ卓球部の元気でかわいらしい子だったな。
その日はそのまま帰って家にいたら、母から「女の子が来ているよ」と言われ出ていくと、小学校から一緒だった女の子がチョコレートを持ってきた。これはさすがに意味は分かったけど、その子に対しては何もイメージなかったし、困ったなぁという感じだった。「好きです」とだけ言われて、何の返事を求められるわけでもなく、チョコレートを僕に渡して帰って行ってしまいました。母は、その時どう思ったんだろう?「あんた、ちゃんと何か言ってあげたの?」って言われたかな。その子は、バイオリンをやっているとても小柄な女の子で、僕の暮らしている世界とは無縁の子だった。そのあとに全く何もなかったのは、今考えると本当に申し訳なかったと思う。何かの返事もしなかったと思うし、話をすることはあったけど、それ以上にはならなかった。ただ、大人になってから、新宿のホームで偶然会ったり、地元で偶然会ったりして、長いこと話をしました。それも携帯電話を使いこなす前だったと思うので、それきりになってしまっています。それが一昨年、小学校の先生になった姪っ子が、同じ学校の先生がその子の妹だとわかりました。本当に世の中狭いです。
そんなバレンタインデーはその日が最初で最後だ。突然バレンタインデーに告白されたことはその後もなかった。
話は戻って、卓球部の子。遠くから叫ばれたものの、それについて何か話をする機会もなく、数日たった頃に、後にとしまえんへ一緒に行った親友の彼女から呼び出されて、「どう思っているんだ!」って迫られて、そこで初めて気が付いた。何とも情けない話だが、それをきっかけに交換日記を始めた。まだ全くの子どもだった僕は、何を書いたらいいかわからず、告白をされて好意はあったにしても、好きという気持ちはわからなかった。積極的に来るその子に、今で言う「少し引いていた」のだと思う。そんなやり取りをしている中で、「としまえんへ行こう!」という話になって、近所の親友とその彼女とその子と4人で行った。二人で行く自信はなかったことは覚えている。としまえんは、男としてジェットコースターは全然平気、中で食べるものはおごる、並ぶのも席を取るのも男がちょっと先に行って取る、そんな行動を見せるいい場所だった。でも、その時のとしまえんでは、恥ずかしくてほとんど何もしゃべることができず、自分を卑下していたのだけど、別れ際に「楽しかった」と、はにかんだ笑顔で言われて、うれしくてスキップして帰った。帰り道は、その頃に姉が聴いていた岸田さとしのの中の「ほおずきの季節」という曲がずっと頭の中で流れていたっけ。
交換日記も3冊続いたのだから、そのサイレントな付き合いはそれなりにうまくいっていたんでしょう。誰にもばれないために、6時半からの卓球の朝練の前に5時半ころに教室へ行って日記を渡したりした。当時は5時半でも学校入れたんだよなぁ。デートは、三鷹市民にはおなじみのコミュニティセンターへ卓球しに行ったりしていた。ただ、長く話し込んだ記憶が全くない。一緒にいていい雰囲気になったことも全くなかった。僕が気が付かなかっただけなのかもしれないけど。今でも交換日記の1冊目と3冊目は手元にあって、女の子の大人感と僕の子ども過ぎ感には笑ってしまう。
その恋は、僕がいじめっ子集団にいじめにあったことで終わってしまった。最後の頃はかばおうとしてくれて、みんなで何とかしてあげる!ということを書いてきてくれていたが、僕があまりに卑屈になってしまっていたので、何も返すことができず、終わりにしようといわれてしまい、その無垢な恋は終わってしまった。今考えると、バイオリンをやっていた子へも交換日記をした子へもお礼と謝罪の気持ちしかありません。