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添田唖蝉坊「解放節」に見る時代の叫び——「♯イントレランスだ、解放せ」

100年以上前の「解放節」の歌詞、まるでTwitter(現X)のツイートのよう。今も昔も変わらず日本はダメなんだなぁと。


「解放節」ってどんな曲?

「解放節」は、添田唖蝉坊の曲だが、元歌は息子である添田さつき(添田知道)の「東京節」、いわゆる替え歌のようです。

「東京節」は大正8年、1918年発表、「解放節」が作られたのは1918年以降ですね。
「解放節」の歌詞を見てみると…

神のようなる教え子が まなこみはって不審顔
白墨にぎった先生が 本読む声もとぎれがち
だめだ、だめだ先生は
ご飯のことが気にかかる 鞜の破れが気にかかる
解放せ 解放せ 解放せ イントレランスだ 解放せ

模範工場の温情主義 社長さんは論語の講義する
えらい牧師や僧正が 月に二回の御説教
イエスキリスト、釈迦、法華
神や仏の気休めで 職工のすき腹どうなさる
解放せ 解放せ 解放せ イントレランスだ 解放せ

娘十七はるばると 汽車にゆられて小百里を
東京見たさに来てみれば 上野・浅草・広小路
あまい言葉にのせられて 今じゃこうして泥の花
ふみにじられて闇に咲く
解放せ 解放せ 解放せ イントレランスだ 解放せ

日比谷の神さま媒人に 結婚などと名はよいが
良妻賢母とほめられて 給金なしの下女奉公
貞操堅固といわれるが 金で買われてきたからは
一生のがれぬ人の妻
解放せ 解放せ 解放せ イントレランスだ 解放せ

あたしも貧乏でお隣も やっぱり貧乏だがお隣の
おかみさんは毎日帳面へ つけているから悲しかろ
塩いくら、味噌いくら だんなの月給が悲しかろ
無勘定のわたしより悲しかろ
解放せ 解放せ 解放せ イントレランスだ 解放せ

ここで気になるのが、歌詞に出てくる「イントレランス」。初めて耳にする言葉だけど、もしかすると、当時の社会運動や知識人の間で使われていた言葉だったのかも?
困ったときはChatGPTに聞いてみよう


「イントレランス」ってどういう意味?

以下、ChatGPTの回答をベースにしてるので必ずしも正しくないかも。

「イントレランス(Intolerance)」は英語で「不寛容」や「許容しないこと」って意味。

1916年には、アメリカで映画『イントレランス(Intolerance)』が公開されてる。この映画は、「歴史を通じた権力の抑圧(不寛容)」をテーマにしていて、日本でも輸入されて影響を与えた可能性がある。

当時、日本では「デモクラシー(民主主義)」や「ソシアリズム(社会主義)」みたいなカタカナ外来語が流行ってたから、「イントレランス」も社会批判の言葉として広まっていたのかもしれない。


「解放節」の歌詞が描く社会問題

100年以上前の曲「解放節」の歌詞には、当時の社会のリアルな問題が詰まってる。まるでTwitterのタイムラインを見ているかのようだ。

  • 教育の貧困:「先生も生活が苦しくて授業どころじゃない」

  • 労働者の搾取:「社長や宗教家が道徳を説くけど、労働者の腹は満たされない」

  • 女性の抑圧:「田舎から東京に来た少女が、結局売春に追い込まれる」

  • 結婚の経済的束縛:「良妻賢母って言われるけど、実際は無給の労働」

  • 貧困層の現実:「細かく家計簿をつけなきゃ生活できない」

まさに社会の「イントレランス(不寛容)」が生み出した問題。添田唖蝉坊はそれを「解放せ!」と訴えてる。

このフレーズは単に「不寛容」って意味だけじゃなくて、

  • 「権力による抑圧をぶっ壊そう!」

  • 「社会の不公平をなくそう!」

っていう強いメッセージが込められてたんでしょう。
「イントレランスだ、解放せ!」って言葉は、今でもそのまま通じるんじゃない?
添田唖蝉坊が現代に生きていたらツイートしまくってそうだ。

ハッシュタグ
♯イントレランスだ、解放せ
ってとこですかね。


「解放節」に登場する「イントレランス」って言葉、1916年の映画『イントレランス』の影響を受けて、日本の社会運動の中で使われてた可能性がある。労働者や女性が抑圧される社会に対して、「この不寛容な社会を変えよう!」っていうメッセージだったのは間違いない。

もちろん、これは推測にすぎないけど、「解放せ!」という叫びが、今の時代にも響くのは確か。100年前の社会と、今の社会…果たして、どれくらい変わったんだろう?


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