2020年版遺書。 僕は何を携えてこの先を生きていきたいのだろうか
どう生きることが正しいのだろうか。その答えをずっと探している。
幼い頃から、生き辛さを抱えて生きてきた。
周りの人に比べ、生きるのがとても下手だった。
つい最近まで、みんなが当たり前にできていることが、僕にとっては何より難しいことだったのだ。
普通に友達と遊ぶとか、楽しくお話しをするだとか、悪いことをしないだとか、集団で行動をするだとか。
無理して頑張らずにはみんなの当たり前についていけなくて、自分が社会の異物のように感じていた。
ようやくと言って良いのか、今となっては前向きに諦めがついている。
本心から納得することが僕にとってはとても大事なことだった。
他人とどれだけ違っていたとしても、納得さえしていれば楽しく生きていけることが分かった。
それは人生における大きな発見だった。
良いことも悪いことも、嬉しいことも辛いこともたくさんあった。
失敗も成功もたくさん経験した。
健やかに生きられるようになり、幾ばくかのできることが手元に残った。
そんな今、僕は何を携えてこの先生きていきたいのだろうか。
改めてそれを考えたいと思った。
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大学を卒業してから色々な働き方をしてきた。
行き当たりばったりで進路を選んできたので、そうなってしまったという方が正しい。
建築設計士として毎晩遅くまで働いていたことがあった。
小さなやりがいと大きなストレスを抱え、普通のサラリーマンとして生きようと頑張っていた。充分以上の給料がもらえ、よく遊んで色んな体験にお金費やした。結局、建築設計しかできない自分が嫌になったのと、人間関係の不満もあって辞めてしまった。
退社後はフリーランスのグラフィックデザイナーになった。
グラフィックを武器に前橋の街をたのしむ先輩に憧れたのが大きな理由だった。
したい表現に費やす時間をちゃんと確保することができた。
貯金は、案の定すぐに底を尽いた。
飯を食うことすら困り、ずいぶんと周りの人に助けてもらった。
不思議なことに惨めだとか辛いだとかという感情はほとんどなく、むしろ誇らしいと感じられる自分が好きだった。周りの人への感謝と、いつか恩返しをしたい、僕も周りの人に優しくありたい。
こう素直に思えて、それは僕にとって正しいと思えた。
やりがいと、目指す先に進んでいる実感に生を感じた。
"ANARCHY STEAK CLUB"
実兄が青森で店を始めるのにグラフィック関係を手がけた。
ロゴ、看板、ショップカードを作り、
一つの成果として大きな手応えがあった。
フリーの仕事が少なくてお世話になっている花屋さんでも働いていた。
花屋の上の階に居候しながら、通勤時間10秒という気安さ。
新鮮な発見と、人情のある環境だった。
良い花作品を作りたい欲求もあったけれど、花の良さをどう人に伝えられるのかとか、花屋の事業をより良くしたいだとか、表現の先にある現象へ関心が向いていった。たくさん社長と相談して、実行させてもらって、やりたいことの輪郭がどんどんはっきりとしていくことを実感する日々であった。
"チャリース"
前橋は赤城山ヒルクライムの出発着ゲートの製作の仕事。
専用の台を製作し、リースの装花は花屋の社長に依頼した。
花屋の事業に大きな結果を出せず、別の答えとしてこの花屋に愛着を持つ人を増やす方法にシフトした。
友人と借金をし、花屋の2,3Fを改修しながら仲間を集め、みんなのやりたいことを実現できる場所を作った。それは今も改良を重ねながら続いている。
その後、縁があって新潟の山村でなんでも屋のような仕事に就いている。
農作物の収穫手伝いとか、畑に電気柵を設置したり、祭りのスタッフになったり、合宿の布団を運んだり、小学校の登山引率をしたり、ウコンを加工したりetc.
デザインの仕事も継続して、うまくいったりうまくいかなかったり穏やかな日々を半年過ごした。
ウコンの収穫と下処理。
この日は数人の仲間と、村でウコンの栽培に取り組む
91歳の山崎さんが教えに来てくれた。
[photo by 前田 慶亮]
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そうして今、大きな挑戦に一歩踏み出そうとしている。
この先に、勇気を持って踏み出したい道ができた。
手元には、たくさんの出来ることとやりたいことが残った。
どこに行ったって生きていける自信もある。
それでも、だからこそ。
どこでどのように生きていきたいのかを、ちゃんと選びたいと強く思うのだ。
僕は何を携えてこの先生きていきたいのだろうか。
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使い古した手帳を見返して、昔に大切な人が僕に言ってくれた言葉を思い出した。
「あなたの思いと言葉と行動力は、この先もたくさんの人を幸せにできる。そしてあなたはその人たちの幸せを自分の幸せにできる人。」
かつてそう言ってくれた人に恥じない素敵な人生を送ろうと、ずっと前に決意したんだった。手帳の裏表紙に手書きで残していた言葉が、ぐっと胸に響いた。
その言葉は、長い時間をかけて心身に馴染んでいってようだった。
これを大切にして生きることが最も僕らしいのだと、その言葉を読み返し腑に落ちた。自然とそれを大切にする生き方をしていた。
本当の思いと向き合い言葉にする勇気を持つこと。
その苦しさも喜びも、僕はもう知っている。
考えて、言葉にして、行動することで、世界が少しずつでも変えていけることも既に経験してきた。
この先、大切な思いを間違えなければ僕はどこへだって行ける確信がある。
僕が目指すもっと先の未来へ。
思いと言葉と行動を携えて、大切な人たちの幸せとともに。
この先の人生への誓いとして。
あるいは、いつ死んだって悔いが無いくらい満足に生ききるための遺書の代わりとして、この文章を書いた。
2020.1/2(thu)
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