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「人生って修行ですか? どうしたらクリアできるのでしょうか?」

恋愛はね、修行だと思うんですよ。人を好きになることによって湧いてくる、支配欲や独占欲や執着などのエゴをいかにコントロールできるか、が試されるから。
だけど人生が修行かというと、また少し違う気もするんです。
RPGみたいな、ゲームに近いものなんじゃないかな。
うわもうこれクリアするの無理〜〜〜〜ィ!!みたいな場面もあれば、
何このお花畑、楽しいからずっとここで遊んでたいよ!みたいなステージもあるじゃない?

私は最近乳がんになりまして、死を身近に考える機会があったんですよね。
死を考えるとは、人生をどう生きるかということにも繋がります。
というか、私の母が乳がんで57歳で亡くなっていて、そのとき、つまり30代後半から私はうっすらと、57歳で亡くなったとしても悔いのない生き方というのを意識して生きるようになりました。
行きたい場所には行って、食べてみたいものは食べて、会いたい人には会って、好きな人たちには好きと告げておこう、って。
あとね、母は何というか激しくて不器用な人で、私とも色々母娘の確執があったりはしたけれど、愛情深くて周りの人たちに対して献身的な女性だったんです。
それで、亡くなってからもなお、私は母にどれだけ愛されていたかを感じ続けて生きてるんですが、それってすごいことじゃないですか? 自分がこの世から居なくなってなお、愛してた人たちに愛を感じさせ続けるって。
きっと母に愛されてた他の人たちも、同じように感じてるんじゃないかなって、母の性格上、そう思う。

で、私も、そういう風に生きたいなと。出会った人たちと過ごした時間がたとえ一瞬だったとしても、その人が私のことを思い出したとき、少しだけ心が温かくなったり、少しだけ勇気が出たりしてくれたら、もし私がこの先偉くなったり有名になったりしなくても、生きた甲斐があったのかなあって、今は思ってます。

それから、死ぬときに、自分がどうやって生きたのかいちばんよく知ってるのは自分だよね。だから、せめて自分だけでも、「よくがんばって生きたね、お疲れ様」って自分に言ってあげられるよう、自分にできる精一杯の範囲で、誇りを持てる生き方をしたい。
どうやって生きたとしても、しなかったことに対しての後悔も、してしまったことに対する後悔も一切ない人生ってたぶん無理だよね?
だから悔いがない生き方って、そういうことを言うんじゃないかなと。

結局、人生も美容と同じで自己満みたいなものだから。どこで自分にOKを出して、どこまでがんばって、どこであきらめるかは自分次第。
でもだから、自分本位で自分のために生きるのがいいと、私は思う。
誰かのための人生を生きたら、誰かのせいにしたくなる気がする。そんな風には生きたくないものね。

あなたが欲しい答えになっているかどうかわからないけれど、これが今の私が考える「人生論」です。
クリアすることを考えるんじゃなくて、クリアするまでに起きる出来事を楽しんだり感じたりして、エンディングを迎えたとき、「何だかよくわからなかったけど楽しかったな」って思えたら、きっとそれはいいゲームだったってことなんじゃないでしょうか。


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